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孫文率いる革命秘密結社「中国同盟会」の拠点「晩晴園」|古き良き時代の雰囲気が漂う街の中に残る、歴史を生き抜いた邸宅(シンガポール)

8/12(月) 15:01配信

サライ.jp

度重なる所有者の変更、そしてさらなる激動の運命

張永福は1910年に晩晴園を売却。その後数回に渡り所有者を変えた後、1937年、歴史的価値を重んじる新加坡中華総商会[Singapore chamber of commerce and industry](華僑商工会)の有志により晩晴園は共同購入し寄贈され、保存されることが決まった。

しかし、晩晴園にとっての平穏な日々は長くは続かなかった。連合国にとり戦略的、心理的に大きな衝撃となった、1942年の日本軍によるシンガポール陥落により接収され、軍の通信基地[military communications centre]として、遠い日本からやってきた軍人が出入りする占領下を過ごす。

第二次大戦の終結により日本軍が去った後、晩晴園は、今度は中国国民党により、海外支部として使用されるようになる。中国本土で起こる混乱と晩晴園がどのように関わっていたかは、今となっては想像をするしかない。

1949年にイギリス植民地政府により中国国民党が活動を禁止されると、晩晴園の管理は再び新加坡中華総商会の手に戻される。そして、奇しくもシンガポール独立と時を同じくする1965年、海外で広く認知される孫文の通名である「スン・ヤット・セン(孫中山)」を冠した「スン・ヤット・セン・ヴィラ」という新しい呼び名を与えられ、図書館兼博物館として生まれ変わる。

時を経て1994年、スン・ヤット・セン・ヴィラはナショナル・モニュメントに指定され、現在まで使われる「スン・ヤット・セン南洋記念館」という名称に変えられ、何度かの大規模な改装を経て、現在私たちが目にしている姿になった。

スン・ヤット・セン南洋記念館は、孫文や辛亥革命に関わったシンガポール人などについての資料を展示する常設展の他、バレスティア周辺のエリアについてや、革命前夜の新聞に載った風刺画など、小さいながら充実した内容の特別展の展示もある。

スン・ヤット・セン南洋記念館の建築は、植民地時代に裕福な華僑やイギリス人などが暮らした南洋のコロニアル様式。訪れれば、建物自体が経験した歴史の荒波と、当時暮らした上流階級の人たちの生活について想いを馳せる機会ともなる。

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最終更新:8/12(月) 15:01
サライ.jp

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