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『源氏物語』の魅力を探る(2):1000年の命をつないだ先人たち

8/14(水) 15:01配信

nippon.com

島内 景二

平安時代に生まれた『源氏物語』は、その時々の文学者によって時代に即した解釈が行われてきた。そうして新たな生命力が吹き込まれ、21世紀の今でも古典文学としての輝きを失っていない。

時代を超えた生命力を持った物語

日本最古の文学作品は、8世紀初頭の『古事記』であり、現在までに1300年以上の蓄積がある。その中で、日本文学を代表する作品と言えば『源氏物語』である。それほど、『源氏物語』は、日本人の生活の中に溶け込んでいる。

それにしても、『源氏物語』には強靱(きょうじん)な生命力がある。生命体は通常、生存環境が激変すると、順応できなければ滅亡への道を歩み始める。恐竜の滅亡が、その典型例とされる。ある時代には文化的な金字塔としてもてはやされた文学作品も、価値観や政治・経済システムが一変した次の時代には、急速に読まれなくなってしまうこともある。

ところが、貴族政治が全盛で、貨幣経済が未発達だった11世紀の初頭に生まれた『源氏物語』は、戦乱の時代にも平和の時代にも、武士の時代にも民主主義の時代にも、資本主義やITの時代にも読み継がれて、現在に至った。

その秘密は、文化的な意味での“突然変異”を、この物語が何回も成し遂げてきた事実の中に発見できるだろう。もちろん、『源氏物語』に書かれている文章それ自体は、変わらない。読者がこの物語に求めるもの、つまり主題(作品が読者に向けて発信するメッセージ)が、時代の変化に呼応して変わるのだ。歴史の激変に順応するために、「新しい解釈」を引き出そうとする読者たちの要求に、『源氏物語』は常に応え、新しいメッセージを発信し続けることに成功してきた。

美学書から政治の教科書へ

最初の変化は、『源氏物語』が書かれてから200年後の13世紀に起きた。和歌の権威である藤原定家(1162~1241)は、この物語の本文校訂を行った。印刷技術のない時代だったので、『源氏物語』は手で書き写された写本で読まれてきた。200年間、繰り返し書き写されている間に、それぞれの写本の本文が大きく食い違ってきた。『源氏物語』が文化的な影響力を持つためには、本文を校訂する必要があった。定家によって、『源氏物語』は54の巻の配列(読む順序)と、本文(読むべき内容)が確定した。この時から『源氏物語』は繰り返し読むことの可能な「古典」となり、新しい解釈を求める研究が始まった。

定家が引き出した『源氏物語』の主題は、「美」である。武士が軍事力で権力を掌握した中世の開幕期は、混乱の時代だった。その時、貴族階級の一員である定家は、現実世界から失われた王朝(平安時代)の「みやび」の文化を、美しく結晶させた。

定家には、王朝和歌の名作百首を集めた『小倉百人一首』というアンソロジーもある。混乱した時代だからこそ、『源氏物語』に用いられた美しい言葉を使って優美で上品な内容の和歌を詠むことで、現実を超えた理想の世界を作ろうとしたのである。

それから約250年後、宗祇(1421~1502)が登場する。宗祇は、日本各地を旅した「漂泊の詩人」であり、後世の俳人・松尾芭蕉(1644~94)が憧れたことでも有名である。宗祇は、日本社会が大規模な内乱によって分裂し、戦国時代に突入する混乱期を生きた。

戦国時代の混乱を代表する言葉が、「下克上(げこくじょう)」。家臣が主君を倒し、子が親を追放する。主従関係も、親子関係も、完全に断ち切られた。政略結婚が横行し、夫婦関係さえも信じられなくなっていた。

このように人間関係が崩壊した戦国の乱世にあって、宗祇は、夫婦・親子・主従・朋友(ほうゆう)・師弟などの人間関係が調和する理想の社会が到来することを心から祈った。だから、彼は『源氏物語』から理想の人間関係、中でも為政者(政治家)と民衆の信頼関係を読み取り、それがこの物語の最大のメッセージだと考えた。

宗祇は、『源氏物語』を美学の書としてではなく、平和と調和を手に入れるために必要な政治理論書(政治の教科書)と見なした。これは、2019年に日本が新しい元号に決定した「令和(美しい調和)」の思想を、500年も前に先取りしていたことになる。

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最終更新:8/14(水) 15:01
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