ここから本文です

『欽ちゃんのどこまでやるの!』は何が画期的だったのか

8/15(木) 7:00配信

NEWS ポストセブン

 1週間のレギュラー番組の視聴率の合計が100%近かったことから、“100%男”の異名がついた萩本欽一。中でも最高視聴率42.0%を記録した『欽ちゃんのどこまでやるの!』(1976~1986年、テレビ朝日系)は、100人の観客を前にした公開収録が特徴だった。プロデューサーだった皇(すめらぎ)達也氏が振り返る。

「萩本さんはとにかく仕事が好きな人で、2日間みっちり稽古して本番に臨んでいました。今や稽古を重ねて作りあげるバラエティ番組なんて皆無ですから、隔世の感があります」

 萩本と真屋順子扮する夫婦が、舞台の茶の間で丁々発止のドタバタ劇で笑いの渦に巻き込んでいく。2人の子供役を演じた見栄晴や、のぞみ、かなえ、たまえの3姉妹「わらべ」は、番組の看板キャラクターとして全国的な人気を得た。

「当時よく質問されたのが『「欽どこ」って、何のジャンルなの?』。ホームドラマといえばホームドラマだし、ドキュメンタリーといえばドキュメンタリー。ワイドショーみたいですねという人もいました。私たちスタッフは、萩本さんと『これまで誰もやったことのない番組、ジャンルにとらわれずに誰もが楽しめる新しいエンターテインメントにしよう』と話していました」(皇氏)

◆欽ちゃんの鶴のひと声で決まった真屋順子の起用

 バラエティ番組に芸人以外の有名人が出演するのは今や当たり前だが、最初に始めたのは『欽どこ』だった。

「萩本さんの奥さん役だった真屋順子さんは、山口百恵さんの赤いシリーズ『赤い絆』で意地悪な女性を演じていました。新劇出身で、お笑いのことなどまったくわからない女優さんでしたが、『だからおもしろいんだよ』という萩本さんの鶴のひと声で出演が決まりました」(皇氏)

「萩本さんの茶の間の空気を読む力はずば抜けていた」と皇氏は語る。当時、お笑いのことがわかるテレビマンは皆無で、誰もが萩本から多くを学んだという。

「私たちテレビマンが不思議に思うことは、番組が終わって以降、萩本さんの姿をテレビで見かけることが少なくなったこと。とても寂しく感じています。テレビ界にたくさんの財産を残してくれた恩人ですから、ああいう人こそ、国は表彰すべきではないでしょうか」(皇氏)

●取材・文/戸田梨恵、小野雅彦

※週刊ポスト2019年8月16・23日号

最終更新:8/15(木) 7:00
NEWS ポストセブン

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事