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終戦なぜ8月15日にずれ込む? 企業も陥る「コンコルド効果」

8/15(木) 13:33配信

日経BizGate

 8月15日は終戦の日。約4年続いた太平洋戦争で犠牲になった日本人は約310万人にも上り、その多くが勝利の望みが消えた最後の約1年間で戦死したり被災した人々だった。なぜ終戦が遅れたかの研究が、社会心理学的や行動経済学の視点も取り入れた形で進んでいる。日本のエリート層が、そろって狂信的な軍国主義者で戦争を長引かせたわけではない。一見合理的に見える決断が、実は被害を増大させる落とし穴だったことが解明されつつある。現代の企業経営にもヒントとなりそうだ。

「一撃講和論」が陥った現状維持バイアスのわな

 1941年12月に日本の連戦連勝で始まった対米戦争は、42年6月におけるミッドウエー海戦の敗北を境に、物量で勝る米軍の反撃攻勢の局面に一転した。戦況が悪化する中で決定的だったのは44年7月、北マリアナ諸島にあるサイパン島の陥落だ。サイパンからは日本への空襲が容易に行え、この時点から日本軍は加速度的に劣勢に追い込まれた。

 近代史学の古川隆久・日大教授は「昭和天皇も当時の東条英機首相に特に確保を指示する要衝だった」という。東条内閣は退陣し、対英戦のインパール作戦も中止された。「後任の小磯国昭首相は昭和天皇の疎開を勧めるほどだった。昭和天皇は最後まで帝都にとどまることを選択したが」と古川氏。

 勝利が絶望な状況で生まれたのが「一撃講和論」だ。古川氏は「1回でも局地戦闘に勝利することで、条件付き和平に持ち込もうとする構想。昭和天皇から政府、軍部ともほぼ共通の考え方だった」と指摘する。43年のカイロ宣言で連合国が対日戦の目標とした無条件降伏を避ける狙いがあった。

 損害を最小限にしようとする一撃講和論は、一見合理的に思える。巨大戦艦の「大和」「武蔵」はまだ健在で、中国大陸には陸軍最強とされる関東軍が控えていたからだ。しかし古川教授は「日本のリーダー層が現状維持バイアスにかかっていた」と指摘する。

多元的な政治体制、相互チェックの機能無なく不全に

 現状維持バイアスは、行動を未知なものや未体験のものを受け入れたくないと感じ、現状のままでいたいとする心理作用だ。行動を起こした方が有利な状況を作れると理解していても動きたくない経験は誰にでもあるだろう。「圧倒的な連合国との戦力の差に目をつぶり、講和交渉を本格化させなかった」と古川氏。実際その後の日本軍はペリリュー島、台湾沖航空戦、レイテ沖海戦、ルソン島、硫黄島、沖縄戦と続く戦いに敗戦し、国力の消耗と人的犠牲を重ねていった。

 指導者層の情報共有も進まなかった。昭和天皇が日本の軍事力が事実上壊滅状態にあることを知ったのは45年6月、梅津美治郎・陸軍参謀総長の報告を受けてからだったという。「梅津は書きものにもせず、部下にも知らせない極秘、独断の報告だった」(古川氏)。

 実際の終戦は、梅津総長の極秘報告からさらに2カ月後だ。古川氏は「表向き負けた形で処理したくない軍部を制御できなかったことが混迷の最大の原因」と言いきる。そういう軍部の体質を生み出し、まかり通るような戦前の制度に原因があると、古川氏は制度設計の不備を指摘する。戦前の日本政治は天皇、宮中、重臣、陸軍、海軍、内閣、議会などがそれぞれに権力を持つ多元的な政治体制だったといわれる。

 独裁者の出現を防ぐには合理的なシステムにも思える。しかし実際は、軍事力や作戦に関する情報は統帥上の秘密とされ、文官は外務大臣であっても終戦まで伝えられなかった。「それぞれが勝手に行動し、相互のチェック機能が働かなかった」と古川氏。

 行動経済学の理論も、太平洋戦争の実態を解明するのに役立つ。ノーベル経済学賞を受賞した米カーネマン教授のプロスペクト理論で、一撃講和論の背景をさらに深く分析できそうだ。プロスペクト理論は、人間は現在所有している財が1単位増加する場合と1単位減少する場合では、減少の方に重きを置いて、少しでも損失を小さくすることを望むというもの。

 かつて日本のリーダー層は対米戦争を、将来どうなるか分からないにもかかわらず、ではなく、どうなるか分からないからこそ、開戦に合意した。同じ理由で、何度も勝利の可能性が低い決戦策を挑み、講和交渉前に少しでも有利な条件を得ようとした日本軍の行動も理解できそうだ。

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最終更新:8/15(木) 13:33
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