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「変人」ビエルサこそ一つの理想。サッカー監督の「二面性」を考える

8/15(木) 19:02配信

footballista

芸術としてのアルゼンチン監督論 Vol.11

2018年早々、一人の日本人の若者がクラウドファンディングで資金を募り、アルゼンチンへと渡った。“科学”と“芸術”がせめぎ合うサッカー大国で監督論を学び、日本サッカーに挑戦状を叩きつける――河内一馬、異国でのドキュメンタリー。

文 河内一馬


 「表と裏」や、「二面性」という言葉が人間に添えられる時、それは大抵良い意味を持たない。「あの人には、表と裏がある」。この言葉を聞いてポジティブな捉え方をする人も、言われてうれしい人もおそらくいないだろう。いわば、悪口の代名詞である。今回は、これまで決して脚光を浴びることのなかった「二面性」という言葉にスポットを当て、この言葉の名誉奪還に一肌脱ぎたいと思う。なぜなら、私は『サッカー監督には二面性が必要である』と確信しているのだから。おそらく日本で唯一「サッカー監督」だけに焦点を当てた連載を書いている身として、この責任をしっかり果たしたいと思う。

■ピッチの中と外でまるで「別人」

 「良い結果が出なかった時、どんなに良いプロセスであったとしても評価をされないのであれば、それは心配しなくていい。不公平というものは、よく起こるものです。しかし、もしも偶然に結果が出てしまったのであれば、それは皆にとってすごく有害なものとなります。なぜなら、それを見ていたすべての人に、近道こそが目標を達成するには最適な方法だと、そう教えてしまうからです。実際は、そうではありません。これはメノッティ(元アルゼンチン代表監督)の言葉ですが、花壇を避けずに近道をする人は、早くは着きますが花を潰してしまいます。一方で花壇を避けて遠回りをする人は、時間はかかりますが花をダメにすることがありません。私はこのような言葉を信じています。根拠のある結果こそ、評価されるべきだと信じているのです」

 これは、アルゼンチンを代表するサッカー監督マルセロ・ビエルサの言葉だ。彼が選手の前で、また記者の前で話をする時は、まるで思想家のような、また哲学者のような姿を見せるのが常である。子供のファンを見た時は顔をくしゃっとさせ、満面の笑みで頭を撫でる。記者会見や講義でサッカーの説明をする時は、研究者や学者のように、資料を見せながら冷静に言葉を並べる。しかし、それらの姿を見ているだけでは、彼の本質を知ることはできない。練習中のグラウンドで身体全体を使い、文字通り声という声を絞り出して選手を動かす姿、試合中のベンチで選手や相手や審判に対して怒り狂う姿も、それらはすべてマルセロ・ビエルサという一人の人間であり、一人のサッカー監督である。私はこれを、サッカー監督が持ち合わせていなければならない「二面性」であると、そう考えてきた。

 良いリーダーとは、なにか? それをここで定義するつもりはない。決して1つではないだろう。しかし、サッカー監督というリーダーにおいて絶対に欠けてはいけないものがあるとすれば何か? と聞かれれば、“私は”「二面性である」と、そう答える。その「一面」ともう「一面」は、「静と動の差」もしくは「理と情の差」と言い換えることもできるだろうか。

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最終更新:8/15(木) 19:02
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