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「焼夷弾が人の顔を半分に……」伊東四朗82歳が語った74年前の空襲体験

8/15(木) 5:30配信

文春オンライン

「この戦争、何だかおかしいぞ」

半藤 伊東さんのお父さんも下町の遊び人なら、薄々感づいていたと思いますよ。遊び人ほどこういうことには敏感なものですから。酒がない、白米がない、タバコもないとなると、「この戦争、何だかおかしいぞ」と勘づいてくるものです。

伊東 うちの親父はどうだったでしょうねえ(笑)。親父はヘビースモーカーだったので、タバコには敏感だったと思いますけどね。戦争末期には、代わりにイタドリという葉っぱを採りに行かされました。それを乾燥させて、刻んで紙巻タバコを作っていましたね。

半藤 そうやって生活物資が日常から消えていく上に、元気な若者は赤紙でどんどん兵隊に取られていく。街は老人と子供ばかりになって、だんだん異様な雰囲気になっていきました。

いまだに忘れられない「即死」の光景

 1944年11月、ついにB29による本格的な空襲が始まる。伊東氏と半藤氏は、空襲警報が鳴るたびに自宅の防空壕に駆け込む日々を送った。

 伊東氏には、今でも忘れない光景があるという。

伊東 ある日、空襲警報の解除後に近所の人たちが家から出てきて、「ああ、みんな助かったな」なんて安心していたら、電線に引っかかっていた焼夷弾が突然落っこちてタテノさんという近所の方の顔を直撃した。その方は顔の半分がスパッと削ぎ落されて死んでしまいました。私は間近で見たから、あの光景はいまだに頭から離れませんね。あの時「即死」という言葉を覚えました。

 やがて2人は、一晩で10万人もの死者を出した東京大空襲を経験する――。

 伊東氏と半藤氏が、太平洋戦争の開戦から、戦時下での修学旅行、東京大空襲の光景、疎開先で迎えた終戦などを語り尽くした「僕らが焼け跡で思ったこと」の全文は、 「文藝春秋」9月号 に掲載されている。

「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2019年9月号

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最終更新:8/15(木) 12:33
文春オンライン

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