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巨人、ヤクルトの元国際スカウトが語る「大物助っ人の意外な素顔」

8/16(金) 7:01配信

FRIDAY

打点王4回、本塁打王2回、首位打者1回獲得したアレックス・ラミレス。ヤクルト、近鉄を優勝に導いたチャーリー・マニエル。来日初年に本塁打と打率の2冠を獲得したジャック・ハウエル……。プロ野球ファンなら、誰でも知っている外国人レジェンドたちだ。彼らはいずれも、巨人やヤクルトで活躍でした国際スカウト中島国章氏(64)が発掘した助っ人である。中島氏は40年近くスカウトに携わり、かかわった外国人は100人以上。グラウンドだけでなく、私生活やプライベートの面倒も親身になってみていた。“名伯楽”中島氏が、優良助っ人たちの意外な素顔を明かす。

中島氏と有名外国人選手たちの貴重な画像集

◆ホーナー「現金500万円を持ち歩きクラブをハシゴ」

‘87年にヤクルトへ入団したボブ・ホーナーは、ブレーブスでクリーンナップを打っていたバリバリのメジャーリーガーです。来日デビュー戦の阪神戦で初ホーマーを放つと、翌日には3本塁打を記録。メディアも「さすが本物の大リーガー」と絶賛します。

取材はどんどん過熱しました。彼のマンションには連日マスコミが押し寄せ、レストランに入ったら何を食べたのかまで調べる始末。ホーナーも、ストレスが溜まっていったのでしょう。私にこう言って、マスコミには完全に口を閉ざしてしまいました。

「もうボクから語ることはない。キミが好きなように話しておいてくれ」

もともと酒好きでしが、日本で酒量も増えた。遠征先では500万円の現金を持ち歩き、クラブを何軒もハシゴし泥酔。ホテルに戻っても収まりません。

「すべての部屋のビールを持って来い!」

こう叫んで、朝まで痛飲していました。

結局「地球のウラ側にはもう一つの野球があった」という名言を残し、ホーナーは1年で帰国してしまいます。ただ、決して日本が嫌いになったワケではありません。翌年限りでメジャーを引退後、私に次のように話していましたから。

「日本では大きなケガをしなくて良かった。(打率3割、30本塁打以上記録し)ヤクルトに迷惑をかけなくて良かったと今でも思っているよ」

環境になじめずともキッチリ結果を残したホーナーの態度に、本物のプロとはどういうものか教えてもらったような気がします。

◆パリッシュ「美空ひばりの唄を聴き『米国に帰りたい……』」

「オレの好物はワニの肉だゼ」

こう公言していたのは、’89年にヤクルトで本塁打王となったラリー・パリッシュです。東京・新宿に「アフリカ」というレストランがあり、その店でパリッシュは好んでワニの肉をバクバク食べていました。

しかし豪快なイメージと違い素顔はナイーブ。日本の管理社会になじめなかったのか、酒が入るといつもホームシックになっていました。よく聴いていたのは、美空ひばりさんの「川の流れのように」です。言葉はわからなくても、哀愁漂うメロディに望郷の思いを募らせていたのでしょう。「米国に帰りたい……」と言ってシクシク泣いていた。結局ヤクルトでは2年目の契約をせず、帰国してしまいました

◆ペタジーニ「食事中も選手の前で奥さんとイチャイチャ」

‘99年にヤクルトへ入団した、ロベルト・ペタジーニの愛妻家ぶりには閉口しました。遠征先にも奥さんを帯同。常に行動をともにしていました。実はペタジーニの奥さんは自分の同級生の母親で、25歳も年上なんです。

私が最初に驚いたのは、来日初キャンプ中に行われたパーティでのこと。選手やコーチ陣が見ている前で、平気で奥さんとイチャつき始めたんです。スプーンでスープをすくい奥さんの口に運ぶ……。そんな姿を見て呆気にとられました。

ペタジーニの家へ遊びに行っても、とにかく“奥さんファースト”でした。ビールがなくなると、買い足しに行くのは奥さんではなく彼の役目。外出する時にはペタジーニが玄関でひざまずき、奥さんに靴を履かしてあげるんです。

一つ間違うとチームの和を乱しかねないペタジーニの愛妻家ぶりを救ったのは、当時の若松勉監督です。「仕事さえしっかりやってくれれば問題ない」と放任。もし管理色の濃い監督なら、ペタジーニも本塁打王を2回獲得できるほど活躍できなかったでしょう。

……………
中島氏によると、日本で成功する外国人選手の妻の多くは強くてたくましいという。異国で思い切り暴れるには、安定した家庭状況が不可欠なのだ。

FRIDAYデジタル

最終更新:8/16(金) 11:43
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