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青グラブの広島・野村祐輔が、いつか“赤いエース“と呼ばれる日

8/16(金) 11:00配信

文春オンライン

「カープの現在のエース」と聞いて誰を思い浮かべるだろうか。これが歴代であれば“小さな大投手”長谷川良平や外木場義郎、池谷公二郎に北別府学、大野豊……と次々と挙げることができる。しかし「現在の」と言われると、「うーん、大瀬良大地かな?」と答える人が多いのではないだろうか。そこで野村祐輔の名前が出てくることは余りないように思われる。野村を特集する雑誌記事を見ても、「エース襲名へ」とか「エースへの道を再び」などと、どことなく煮え切らない表現になっているものが多い。

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なぜエースと呼ばれることが少ないのか

 広陵高校から明治大学と、野球人生の多くの時間を「エース」として過ごしてきた野村。2011年ドラフト1位でカープに入団した野村は、翌12年の開幕から先発ローテーションの一角を担い9勝11敗、1.98という驚異的な防御率を残し新人王に輝いた。その後も先発投手として登板を重ね、現在までに通算71勝を挙げている。ルーキーイヤーから現在(19年8月16日)までの169登板全てが先発出場という、ある意味貴重な存在でもある。

 その野村がなぜエースと呼ばれることが少ないのか。そこにはいくつかの理由があると思う。まず時期的な問題として、野村がカープに入団した12年から15年までは、前田健太という絶対的な「エース」が存在していた。前田がカープを離れた16年に野村は16勝3敗という成績を残し、最多勝と最高勝率のタイトルを手にしたが、この年は同時に「エース」黒田博樹の現役最後の年でもあった。その黒田が引退した翌17年には勝ち星を伸ばすことができず、薮田和樹(15勝)、岡田明丈(12勝)、大瀬良(10勝)に次いでチーム内4位の9勝に終わった。

 18年にはエースの条件の1つである開幕投手の座を射止めて白星発進するも、4月下旬に背中の筋挫傷で離脱、その後二軍戦で右ひじに死球を受けて復帰が遅れた。つまり、ことごとく「エース」と呼ばれるタイミングを逸してしまっているのである。今季も6月11日の日本ハム戦で1回に5点を失い降板、そのまま二軍降格となった。それは国内FA権取得まであと1日というタイミングでの出来事であった。このようなちょっとしたツキのなさが野村にはいつも付きまとっているような気もする。

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最終更新:8/16(金) 11:00
文春オンライン

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