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近代以降、中国が欧米や日本に敗れ続けた理由

8/16(金) 5:50配信

東洋経済オンライン

気候変動や遊牧民との関係など世界史のなかで中国史を捉え直すことで、新しい歴史が見えてきます。後編の今回は、モンゴル巨大帝国の成立から現代までを『世界史とつなげて学ぶ中国全史』の著者・岡本隆司氏が読み解きます。

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前編:『「三国志」の動乱は実は寒冷化の産物だった』

 唐宋変革の影響は農耕世界・中国王朝ばかりにとどまりません。農耕民の経済力向上をもたらしただけではなかったからです。

 金属器の増産で、鋭利な武器も大量に製造が可能となり、遊牧世界にも入っていきました。遊牧民も以前よりさらに強大な軍事力を持ったわけでして、同じ時期に遊牧国家が強くなったのも、こうした動因がはたらいています。

 こうして10世紀以後の東アジアは、遊牧国家が活気づいて拡大したのと同時に、農耕世界も生産力を増大させ、それぞれの勢力がせめぎ合って相容れない、分立状況となりました。11世紀の契丹(きったん)と北宋、12世紀の金と南宋の並立・対峙がその好例です。

 温暖化のなかで、伸長した経済力と軍事力とをどのように共存させるのか。当時の中国史は、その答えをずっと模索していた、といえるのではないでしょうか。そうした模索の果てに登場するのが、モンゴル帝国でした。

■モンゴル帝国誕生の背景

 13世紀初め、チンギス・カンの登場にはじまるモンゴル帝国は、何より遊牧軍事国家でした。トルコ系遊牧民を従え、軍事力を強大化させ、勢力圏を拡大してユーラシアの草原世界を制覇したのです。

 しかし軍事・遊牧ばかりにとどまりません。草原から打って出て、隣接するシルクロード上のウイグル人やイラン系ムスリム商人も支配下に置きました。かれらはユーラシアの通商・財界を牛耳っていた商業資本です。

 モンゴルの軍事征服活動を促し、広げたのは、むしろこうした人々のほうだったかもしれません。彼らはモンゴル集団の頭脳となって、遊牧の軍事力と商業・金融の経済力を結び付け、財務・外交を取り仕切りました。

 モンゴル帝国はこのような体制を整えて、改めて農耕世界の征服に乗り出したのです。

 その事業は13世紀の末、チンギスの孫のクビライの南宋征服で、完結します。東アジアの経略に重点を置いたクビライは、中国・農耕世界の豊かな生産力を草原世界の軍事・商業と組み合わせて、ユーラシア全域に及ぶ交通圏・経済圏を形づくりました。

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最終更新:8/16(金) 5:50
東洋経済オンライン

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