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引退後、海外留学でMBAを取得!多彩なビジネス展開に奔走する「元Jリーガー」が描くセカンドキャリア

8/18(日) 6:31配信

@DIME

【Jリーガーたちのセカンドキャリア】

 2007年、2017年と過去2度のアジアチャンピオンに輝くなど、今やJリーグ屈指のビッグクラブとして君臨する浦和レッズ。輝かしい栄光に満ち溢れた同クラブも93年Jリーグ発足当初は思うように勝てず、「弱小チーム」と位置付けられていた。そして2000年にはまさかのJ2に降格。1年で1部に復帰したものの、この頃までは紆余曲折の連続だった。

 当時の最終ラインを担っていた1人が186cmの長身DFの西野努さんだ。神戸大学経営学部卒業という日本サッカー界屈指のインテリはJ元年に「赤い悪魔」の一員となり、2001年まで9年間プレー。同シーズン末にゼロ円提示を受けて、現役引退の道を選んだ。

【引退後はリバプールへ海外留学、1年でMBAを取得】
「僕は奈良出身ですが、父親が大阪で会計事務所を営んでいることもあって、経営学部会計学科に入り、大学卒業後は専門学校に進んで会計士になるつもりでした。サッカーは大学でやり尽くそうと考えていましたが、関西学生選抜に入り、地域対抗戦で優秀選手にも選ばれ、レッズが熱心に誘ってくれました。当時はサッカー熱も物凄かったんで、思い切ってチャレンジしてみようと門を叩いたんです。

 現役時代で大きかったのは、99年のJ2降格と2000年のJ1昇格。前者はケガで苦しんで半年間出られない時に落ちてしまった。あれはショックが大きかったですね。J2時代も新潟にアウェーで1-6で負けてバスを取り囲まれるという苦い経験もしました。それでも何とか1年でJ1に戻ってホッとした1年後に戦力外通告を受けた。J2からのオファーもありましたけど、レッズ以外でプレーすることは考えられなかったんで、キッパリと辞めることにしたんです」

「引退後は海外留学に行きたい」という希望だけは持っていたが、特別な準備はしていなかった。そんな西野さんが引退後、最初に携わったのが浦和のスカウト業務。日本代表を指揮した経験のあるハンス・オフト監督の下で契約スタッフとして強化に関わったが、「レッズは優勝争いをするチーム。『各ポジションでナンバーワンの選手を連れてこい』と言われたのが印象的でした」と彼は言う。自分の意見を聞き入れてくれる懐の大きな指揮官と接するたび「この人の下でプレーしたかった」と残念な気持ちにもなったという。

 翌2003年には浦和を離れ、Jリーガー時代の貯金をはたいて、前々からの夢だったリバプール大学への留学に踏み切った。妻と生まれたばかり双子を連れての渡英ということで数百万円の投資を強いられたが、「3~5年間は家族が食っていけるだけのお金を用意すると決めていました」と話すように、事前準備を怠らなかった。現地に赴いてからの2~3カ月はリバプール訛りの英語で授業を理解するのに苦しんだが、必死に猛勉強。論文執筆のためにレッズの名刺を活用してインテルのGMにインタビューしたり、バルセロナの練習拠点に出向くなど、本場ならではの経験も積み重ねて1年後にはMBAを取得した。

「『元サッカー選手だ』とチヤホヤされない場所で人生のリセット作業をしたいと考えていたけど、あの1年はまさにそういう時期。学生だったので子育てに参加する余裕もあったし、自分にとってすごくいい時間になりました」と本人は述懐する。

【ガムシャラに働きながら見えてきたもの】
 帰国後は再び浦和の契約スタッフとなり営業部門に回された。が、目の回るような忙しさで、3人目の子供が生まれたばかりの家が父親不在の状況になってしまった。「このままではいけない」と半年間で退職を決意。2005年1年間はフリーターとして過ごす道を選んだ。留学前に貯めたお金も日に日に減ったが、家族第一というイギリスで学んだことを実践。そして翌2006年、知人に紹介されたスポーツマーケティング会社「SEA Global」の幹部から「ウチに入らないか」と誘いを受け、役員に就任することになった。

「『SEA Global』は湘南ベルマーレ社長を兼務する水谷尚人さんが代表を務めている会社。サッカー界に幅広いネットワークを持っていて、自分の力を発揮できる環境だと思って参加したんです。

 最初に手掛けたのは、幼児向けのサッカー教育。イギリスの『SOCATOTS(ソカトッツ)』という会社からフランチャイズ権を買い、会議室を借りて0~5歳児に指導するビジネスを2年やりました。その後、ソカトッツからは離れて、『TERRAKIDS(テラキッズ)』というブランド名で今年3月までスクール運営を続けました。同時にチアリーディングスクールも始めましたね。東川口、三鷹、平塚で開校し、前者2つは別法人に譲りましたけど、平塚の方は辻堂との2つになり、湘南ベルマーレのNPO法人に運営を任せている状態です。僕自身は『SEA Global』の役員からは3年前に退き、今は1株主ではありますが、いい関係を築いています」(西野氏)

 同社役員になった同じ2006年には、自身が代表を務める会社「(有)オプト・スポーツ・インターナショナル」も設立。埼玉県主催の埼玉スタジアムでのサッカースクール「埼玉スタジアム・サッカースクール」の指定管理者となり、8年間続けて運営に携わったのだ。会員数にもよるが、月間売上数百万円にのぼる大きなビジネスに発展し、西野さんも手ごたえを感じていた。ところが、2014年にコンペに敗れ、一大事業がなくなった。自営業者というのは大口クライアントを失うことが往々にしてある。「これはさすがに痛かったです」と本人も苦笑するしかなかった。

 ただ、「オプト・スポーツ・インターナショナル」として受託していた「マンチェスター・ユナイテッド・サッカースクール」のサポートやさまざまなイベント出演、メディア出演や原稿執筆などは継続していた。一方、西野さん個人として産業能率大学客員教授の仕事も2008年から週1ペースで請け負っていた。さらに、前述のSEA Globalの仕事も掛け持ちしていたため、会社が傾くことも、失業状態に陥ることもなかった。

【『元レッズ』の肩書から離れた状況で何ができるかが本当の勝負】
「ビジネスを始めた2006年から2014年頃までは本当にありとあらゆることを引き受けていました。『何をやっていいか分かんないから、とりあえず何でもやる』というスタンスでしたね。そうやってガムシャラに働きながら見えてきた1つの方向性が教育関係。自分は解説者やコラムニストみたいなメディアの仕事はあまり向いていないし、イベントも呼ばれれば出ますけどそれほど向いているとは思わない。多くの人と関わる中で、自分の手掛けたカリキュラムから選手が育ったり、人が成長していくきっかけを得たりするのが一番やりがいがあるなと感じますね」

 こう語る西野さんが今、メイン事業の1つに位置付けているのが、Jリーグが中心となって2015年に立ち上げた「一般財団法人・スポーツヒューマンキャピタル(SHC=2017年から公益財団法人に)」のコースデザイン責任者兼ファシリテーターの仕事である。

「SHCでは非常に実践的な学びを用意しています。Jリーグの成長戦略やあるクラブの3年間の事業計画を考えるといった現実に即したテーマと向き合えますし、スポーツ界で働くさまざまなリーダーに講師を務めてもらって話を聞くこともできます。卒業生でJクラブやホッケー協会、フェンシング協会などのスポーツ団体に入った人もいますし、有意義な講座だと思っています」

 4年前から茅ヶ崎市でスタートさせた発達障害児向けの放課後等デイサービスも順調に推移しているし、スポーツ幼稚園「キッズ大陸」でのスタッフ研修業務、企業の新人研修業務なども「オプト・スポーツ・インターナショナル」として力を入れている。一方で、西野努さん個人として引き受けている産能大学の授業(2016年から教授に)やイベント出演などの仕事も継続。家族と4人の社員をしっかりと守りながら、ここまでやってきたのだ。

「今後についてのビジョンは特にないですし、今まで通り『出たとこ勝負』だと思っています。ただ、もう少し社員や各事業で働いているスタッフの幸せを考えるなら、収入を増やすことは大事だと思っています。事業規模を広げることよりも、利益を多く確保していくことを考えないといけないですね。現在の『オプト・スポーツ・インターナショナル』の年間売り上げは1億に満たないくらいですから、もう少し数字を引き上げたいですね。

 僕は引退して18年経ちますけど、『元Jリーガー』という肩書には間違いなく賞味期限がある。それは指導者になってもそうだと思います。今も浦和に行けば声をかけてもらうこともありますし、レッズのOBであることに誇りを持っていますが、『元レッズ』の肩書から離れた状況で何ができるかが本当の勝負。自分自身をスキルアップさせられるかはその人次第。それを今の現役選手も理解しながら、将来を描いてほしいですね」

 多彩な事業展開で飛躍を続ける西野さんの話には説得力がある。彼はサッカーの枠を超えたビジネスの可能性をこの先も模索していくつもりだ。

西野 努
1971年3月、奈良県生駒市生まれ。神戸大学卒業後、93年に浦和レッズ入り。J1・107試合、J2・27試合に出場し、2001年に引退。その後は浦和で強化に携わった後、リバプール大学でMBAを取得。浦和の営業部門に復帰するも、2006年には起業。自身が代表取締役社長を務め(株)オプト・スポーツ・インターナショナルなど複数の会社で事業を展開。現在はSHCコースデザイン責任者兼ファシリテーター、産業能率大学教授、発達障害児向けの放課後等デイサービスなど多彩な仕事を手掛ける。

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U-22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

@DIME編集部

最終更新:8/18(日) 6:31
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