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大下さんは、マルチ安打にもほめるどころか……/新井貴浩コラム

8/19(月) 11:06配信

週刊ベースボールONLINE

 鬼軍曹・大下剛史さんのお話の続きです。

 あまり思い出したくない話もありますが、せっかくですから具体的に説明していきます。ああ、ちょっと嫌な汗が出てきました!

【画像】誰もが恐れた鬼軍曹 大下剛史コーチ

「走ってろ!」と言われ、気がついたら大下さんがいなくなり、ほんと、ぶっ倒れるまで走ったこともありますが、これはフィジカル面ですから、まだマシと言っていいかもしれません。むしろメンタル面のほうがきつかった記憶があります。

 例えば、これは二軍にいたときの話ですが、一、二軍の親子ゲームが広島市民球場であったときです。大下さんはヘッドコーチでもあり、二軍のゲームも視察していました。私はその日、調子が良くて、確か2、3本ヒットを打った。それで「よし、よし」と思っていたら、マネジャーの方が来て、「大下さんが新井に正座させとけと言っている」と。ええッ! ですよね。ほめてもらってもいいくらいなのに。それで「何でですか!?」と聞いたら「あいつはストライクを見送ったから」と。「いいじゃないですか、ヒットを打ったんだから!」と言いたいところですが、大下さんは絶対です。

 すぐグラウンドのホームベースのところで正座。お客さんもまだいるんで、「あいつ何をしたんだ!?」みたいな声や、笑い声が聞こえる。もう、顔から火が出そうでした。そのうち一軍の選手が練習のためにベンチ裏から出てきて、外野に向かうとき、こっちを見ながら、ニヤニヤ笑っていました。

 神宮の試合では全体練習が終わった後、「お前、壁当てしとけ」と言われて、一人で外野のファウルグランドでやっていたこともあります。それも、「なんだ、新井、声を出さんか!」と言われ、もうなんだか分からないけど「よし、来い!」とか言いながら延々やってました。もう開門してたから、お客さんもたくさんいて「何やってるんだ!?」って笑っている。正直、「なんでオレばかりに厳しいんだ」と思いました。

 あのころ私は、二軍に行きたくてたまらなかった。大下さんが怖いとか厳しいとか以上に、結果が出なかったことがつらかった。周囲の冷たい視線も感じていたし、あとにも先にも「二軍に行きたい」と思ったのはこのときだけです。(続く)

PROFILE
新井貴浩/あらい・たかひろ●1977年1月30日生まれ。広島県出身。広島工高から駒大を経て99年ドラフト6位で広島入団。4年目の02年に全140試合に出場し、05年は43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。07年オフ、FA権を行使して阪神に移籍した。11年には打点王になるなど活躍するも、14年は出場機会が減少し、オフに自ら申し出る形で自由契約に。15年に8年ぶりに古巣・広島に復帰。16年には四番打者として25年ぶりのリーグ優勝をけん引し、リーグMVPに輝く。17年途中からは代打が多くなったが勝負強さは健在で、球団史上初のリーグ3連覇に貢献した。18年限りで現役を引退。通算成績は2383試合、2203安打、319本塁打、43盗塁、打率.278。

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最終更新:8/19(月) 11:06
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