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【真夏のスーパーカー特集11】ランボルギーニ ウラッコは異色の4人乗りスーパーカー

8/19(月) 12:02配信

Webモーターマガジン

合理的な技術の組み合わせが2+2を実現

カウンタック発売の前年の1973年に登場した異色のスーパーカーがランボルギーニ ウラッコ。ミッドシップでありながら2+2シーターの4人乗りを実現したのは、ひとえにポルシェ911の成功に刺激されたからだ。(タイトル写真はP250)

【写真】リアビューやエンジンなどを見る

ウラッコは、スーパーカーとしては異例とも言えるほどに実用性を重んじた現実的なモデルだった。もともとランボルギーニは実業家が始めたメーカーであり、レースが本業であったフェラーリと異なり、高級GTカーのブランドとして出発した。ミウラの成功により、そのステイタスはさらに上がったものの、より量産の効く規模の拡大を目論んで開発に着手したのがウラッコだった。その年間販売計画台数は2000台だったという。

最大の特徴は、リアミッドにエンジンを搭載しながらも、小さいながらリアシートを設けた2+2シーターとしたところ。さらにボディは量産車に近いセミモノコックを採用したところにある。言うまでもなく、当時すでに(とくに北米で)成功を収めていたポルシェ911に的を絞っていたのだ。

エンジンは新設計のV8を横置きにして、それにデフとギアボックスを直列につないで搭載した。このトランスアクスルの配列は、1960年代にフィアットが実用化したジアコーサ式と呼ばれるFF駆動系のレイアウトに倣っており、前後方向をコンパクトにまとめることができる合理的な方式だったのだ。ちなみにこの方式は、フィアット自身もミッドシップ(X1/9)に採用している。

さらにウラッコは、当時まだ目新しかったマクファーソンストラットを前後サスペンションに採用した。走行性能ではダブルウイッシュボーンに劣るものの、スペース効率は圧倒的に優れていたからだ。これもフィアットに倣ったもので、当時のフィアットは合理的なパッケージを実現する技術で最先端をいっていた。ランボルギーニはそれを横目で睨みながら、2+2でトランクまで備えた新たなスーパーカーを完成させたのだ。

スタイリングを手掛けたのは、ミウラと同じく、ベルトーネにいたマルチェロ・ガンディーニ。ミウラに見られた1960年代的な曲線美から一転して、新世代にふさわしい直線基調のウエッジシェイプでまとめられている。車体設計はパオロ・スタンツァーニだ。

初公開は1970年のトリノショーだったが、資金難などで生産開始は1973年にずれ込んだ。デビュー時は2.5L SOHCのV8エンジンを搭載(「P250」と「P250S」/220ps)していたが、1975年にチェーン駆動式の3L V8 DOHC(「P300」/260ps)にパワーアップ。トランスミッションも強化された。また本国イタリアでは税制に合わせて2Lモデル(「P200」)も発売されたほか、北米市場向けに2.5Lのまま現地の排出ガス規制に対応した180psモデル(「P111」)もも数は少ないが販売した。

1976年からは、初期のコンセプトから逸脱はするが2シーターモデルの「シルエット」が加わり、その後継車となる「ジャルパ」も1989年まで細々と生産が続いた。もっともウラッコは、石油ショックやランボルギーニ社の経営悪化から量産化計画は頓挫し、1979年で生産を終了している。

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最終更新:8/19(月) 12:02
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