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【サッカーコラム8月編】松田直樹が旅立って8年~サッカー小僧の魂をいま改めて振り返る

8/19(月) 18:05配信

ベースボール・マガジン社WEB

 あの日もこんなに暑かっただろうか。2011年8月4日、松田直樹が天に召された。ボールに愛された男はボールのそばで倒れ、この世を去った。日本サッカーの『過去』を個人の記憶とともに月ごとに振り返るコラム「Back in the Football Days」。8年前の8月に亡くなった松田直樹の魂をもう一度思い出したい――。

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古い友人からの深夜の電話

 2011年の8月のある日、深夜にベッドの横で携帯電話が震えていた。着信だ。誰だろう、こんな夜中に。浅い目覚めの中でぼんやりとそう思いながら、携帯電話が静かになるのを待ってそのままもう一度眠りに落ちた。

 翌朝、着信の相手を見て少し不思議に思った。古い友人からだった。お互いに忙しかったこともあってしばらく会えずにいて、そのうち連絡も途絶えていた。

 でも、突然深夜に連絡が来るなんて、理由が分からなかった。きっと、間違い電話だろうな。酔っ払って別の人にかけようとして、間違って通話ボタンを押しちゃったんだろうな。まあ、そのうち折り返してみようか。そう思っているうちにまた雑事に追われて、そのままになってしまっていた。

 このことを私はものすごく後悔することになる。

 8月4日に松田直樹が死んだ。横浜F・マリノスとの契約が延長されず、「オレ、マジでサッカー好きなんすよ。マジで、もっとサッカーやりたい」の言葉をサポーターに捧げて、当時JFLだった松本山雅FCに移籍した。8月2日の練習中に突然倒れ、救急搬送されたものの帰らぬ人となった。急性心筋梗塞。享年34歳。

 最初に「松田が倒れた」と聞いたとき、何の根拠もないのに「ヤツなら大丈夫だよ」と思ったのは確かだ。だって、マツだぜ、そんなにヤワじゃないでしょ、と思い込んでいた。今から思えば、それは私なりの祈りだったのだ。

 2日後に、本当に亡くなったのだと聞いた後、当時の週刊サッカーマガジン編集部に駆け込んだ。そのとき私は編集部から離れていたのだが、自分に何かできることをやらせてもらえないだろうかと北條聡編集長にお願いしに行った。私が最初に担当したJクラブは横浜マリノス(当時)だったし、松田のことはプロ入り前から取材していて、1995年のJリーグ優勝で号泣する姿を見届けていたから勝手な思い入れがあった。それに、何よりも彼の死を前にして心は落ち着かず、あちこちに跳ね回っていて考えるより先に行動に出ていた。

 北條編集長もアトランタ・オリンピック代表や日本代表の担当として松田とは深い接点があった。だから、編集者の自分たちにできることとして、追悼のための一冊を作りたいと考えていた。私もそこで少し書かせてもらえることになった。

 追悼号はいまでも大切に保管してある。8年後のいま、そこに掲載してもらった一文をもう一度読み返してみた。

 やっぱりあのときはとても感情的になっていたみたいだ。青臭く、自分勝手で、彼のためになっているのかどうか分からない文章を、よくも書いたものだと呆れるばかりだ。だが、その甘さも含めて感じていただければと思い、以下に再掲させてもらいたい。

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最終更新:8/19(月) 18:05
ベースボール・マガジン社WEB

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