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アニメの街の妖怪たち――『ゲゲゲの妖怪100物語』

8/21(水) 8:10配信

otocoto

古代オリエント博物館だってアニメとコラボするのが、アニメの聖地・池袋のサンシャインシティの流儀。ゲゲゲの妖怪たちがポケモンの仲間に見えてくるのも、至極自然な流れなのでした。

夏休みまっただ中の池袋サンシャインシティ。噴水広場には、等身サイズのミュウツーやメリープと記念撮影ができるポケモンのフォトスポットが登場(8月21日まで)。このほかウルトラマンフェスティバル(8月26日まで)にプリキュアのステージ&アトラクション(8月25日まで)、サンシャインシティ内の古代オリエント博物館とのコラボ展示もあるというメソポタミア文明時が舞台のアニメ『Fate/Grand Order-絶対魔獣戦線バビロニア-展』(8月25日まで)など、アニメの街のランドマークの名に恥じない、百花繚乱の関連イベント同時開催ぶりだ。

そんな中で、ちょっと異彩を放っていて、中高年がひとりで入っても浮かずにすむかも(と、少なくとも本人は思える)とめぼしをつけて、『ゲゲゲの妖怪100物語』に行ってみた。

「水木しげるの妖怪世界を体感できる、まったく新しいイベント」とちらしにあるので、新種のおばけ屋敷的なものを想像しつつ、鬼太郎ちゃんちゃんこを着たスタッフに誘われて、最初の「妖気の部屋」へ。

黒い壁と座席だけの空間に腰を下ろすと、照明が消えて真っ暗になり、ざわざわ、がさがさ、チュルチュル、といった音が響き、続いて腰掛けたおしりにも、ドシーンといった重低音の振動が伝わってきた。妖怪たちがいて、何かやっているのを、音や気配から感じてみようという意図らしい。

真っ暗な空間にいてまず思い起こしたのは、直島で見たジェームズ・タレルの空間展示『南寺』のこと(直島の「家プロジェクト」)。暗闇のなかジーッと目を凝らしているうちに、だんだんと自分の視界に変化が生じていく。その過程に気づくおもしろさと、時間の経過を実感することで、五感が研ぎ澄まされたような気分になったものだった。

それから、5年前にふじのくに世界演劇祭で体験したスペインのエンリケ・バルガス構成・演出『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』のことも思い出した。タイトル通り、参加者がよりよく「生きる」か「死ぬ」、いずれかのレッスンを選ぶという参加型パフォーマンスで、目隠しをして視界が無くなったなか(=感覚的には真っ暗)、聴覚や触覚を頼りに、(「よく死ぬ」方を選んだので)徐々に死に導かれていくような行程がひとしきり展開する。ちょっとした疑似臨死体験のようで、なんだか穏やかに死を迎えられそうな気がした記憶がある。

「妖気の部屋」には、こうしたじっくり自分の身体と思考を暗闇にあずけるような時間が用意されているわけではないので、わりと忙しない。まあ比べること自体が、的外れかもしれないけれど。それでも、わかりやすいものを見せる前に、まず「感じる」ことを促す態度には好感が持てた。妖怪は、そんな音や気配から人間が創りだしたもの、という根本的な前提がないがしろにされていないことに安堵した。

この後に続く「妖光の洞窟」(回廊に青白いバックライトで妖怪の絵が浮かんでいる)、「女妖怪の棲む城」(鏡に付帯する太鼓を叩くと女の妖怪が浮かび上がる)などは、平面中心の展示。

つづく「妖怪大迷宮」は、クネクネした迷路に「川獺」(カワウソは人を化かしたそうで、ネコみたいな顔で着物を着て笠をかぶり提灯を持っている)とか「ぬっぺふほふ」(無目的な肉の塊なんだそう!)、「釣瓶落とし」(大木の梢などから出し抜けに墜ちてくる、見たところ巨大な人頭)などは、実物大とおぼしきフィギュアが、それらが出没しそうな風景の中に展示されている。このへんになると、怖さや怪しさは影を潜めて、噴水広場の等身ミュウツーと変わらないノリだ。ポケモンGOのARモードの立体化を見ているような感覚で、それなりに楽しい。

全体に、サンシャインシティの特性になじんだアニメ・アトラクション系の展示という印象だけど、「100物語」のタイトルに違わず、ひとつひとつの妖怪について、400字前後の水木しげるによる解説文がある(出典は水木しげる著『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』 (講談社文庫)とのこと)。これが読みごたえたっぷりで、ちょっと時間を忘れてしまいそうになった。

会場を出たら、プリキュアのコスプレをした少女や、フォトスポットのミュウツー&ミューが、百々目鬼やぬっぺふほふの仲間に見えてきて、俄然愛おしくなった。池袋という街の楽しみ方を、ひとつ会得したような気がしている。

文・伊達なつめ

最終更新:8/21(水) 8:10
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