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新1万円札の“顔”、渋沢栄一の故郷へ(1):深谷・渋沢栄一記念館

8/21(水) 12:05配信

nippon.com

2019年4月9日に発表された新紙幣のデザインで、1万円札に肖像が採用された渋沢栄一。「近代日本経済の父」「公益の追求者」と呼ばれる人物の生誕の地、埼玉県北部の深谷市を訪ね、ゆかりの地や関連施設を巡る。

2024年度上期から発行が始まる新1万円札の顔となる渋沢栄一(1840-1931)。500社以上の企業設立に関わった人物で、近年は600以上の社会福祉公共事業に尽力したことでも広く知られるようになった。

出身地である埼玉県深谷市は、新紙幣デザイン決定を受けて盛り上がりをみせている。生誕地の市内北部の血洗島(ちあらいじま)付近には、栄一ゆかりの史跡や施設が多くあるのだ。貴重な写真や資料を数多く展示する「渋沢栄一記念館」(深谷市下手計)では、決定直後の1カ月だけで、来場者数が前年の年間合計を上回ったという。

故郷・深谷が育んだ小さな体と大きな心

建物内は左側が渋沢栄一記念館の展示室で、他には八基(やつもと)公民館の多目的室や談話室、図書室などが入る複合施設となっている。

入館前にぜひ、建物の北側に回って見てほしいのが、台座も含めて5メートルもある巨大な「渋沢栄一像」。視線の先には、少年時代の栄一が幾度も目にした赤城山(群馬県)方面の風景が広がる。実際の栄一は、身長150センチちょっとの小柄な人物だったそうだが、人としてのスケール感、功績の大きさは「巨人」と呼ぶにふさわしい。来館の記念に、巨大な栄一と記念撮影してみてはどうだろう。

栄一の生家は畑作や養蚕、染料となる藍玉の製造販売などを営む豪農であった。7歳になると、いとこの尾高惇忠(おだか・じゅんちゅう)の下で論語や歴史を学び、家業を手伝って商才を磨いていく。20歳を過ぎ、農閑期に江戸の儒者・海保漁村の塾と北辰(ほくしん)一刀流の千葉道場に通うようになると、尊王攘夷(じょうい)思想にのめり込んだ。

23歳の時、高崎城の乗っ取りや横浜異人館の焼き打ちを企てた。計画は未遂に終わったが、嫌疑を避けるために京都に逃げ、江戸で縁故があった一橋徳川家に仕官。1866年に一橋(徳川)慶喜が将軍になったことで、幕臣となる。1867年から慶喜の弟・徳川昭武(あきたけ)の仏国留学に随行し、欧州各国も視察。帰国後は海外経験を買われ、明治政府で日本の近代化を推進する。30代半ばに民間人に戻ると、銀行家、起業家として実業界をリード。多くの社会福祉・教育事業にも尽力し、91歳の天寿を全うした。

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最終更新:8/21(水) 12:05
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