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新海誠『天気の子』インタビュー 「最悪の現状肯定」ととられる危険があるのは知っていた

8/21(水) 18:00配信

KAI-YOU.net

世界的注目を集める新海誠監督の映画最新作『天気の子』。

本作は『君の名は。』に引き続き高いエンターテイメント性を保ちつつも、描かれる内容について賛否両論を呼ぶなど話題には事欠かない。

【画像】真剣に答える監督

本インタビューでは、セカイ系の文脈から語られる『天気の子』や、これまで一貫して“運命”をモチーフにしてきた新海監督の胸中について聞いた。

取材・文:森田将輝 取材・編集:新見直

セカイ系の文脈から語られる『天気の子』

──『天気の子』は、SNSはじめ、新海監督の旧来のファンからも好意的に受け止められている印象です。これまでのファン層にも届けようと意識はされていたのですか?

新海誠(以下、新海) これまでのファンにはもちろんのこと、多くの方々に届けたいと思っていましたが、SNSでいろんな面白がり方をしていただけているのは嬉しいなと思っています。

中には「2000年代の美少女ゲームのようだ」と言っている方々いて(笑)。僕は昔、美少女ゲームのOP映像を制作したこともあったのですが、当時を知っている30~40代、あるいは50代くらいの方が『天気の子』を楽しんでくれていることに同じ時代を生きてるんだなという嬉しさを感じます。

その方々の感想で「本当は夏美ルートと陽菜ルートとが存在して…映画版はトゥルーエンドだ」といった意見もSNSで見かけるのですが、その気持ちも分からなくはないんですよね。選択の分岐が見えるみたいな(笑)。面白いこと言ってるな、と思いながら読ませていただいてます。

でも世間では映画を観ても、SNSでつぶやかない人の方が大半のような気がしています。

30人のクラスでいうと10人くらいはSNSなどで感想を書いてくれているのかもしれないけど、20人は映画を見ても「良かった」とか「つまんなかった」の一言で済んでしまう。

映画全体の観客の割合として、圧倒的多数は後者のような気がしているんですよ。

だから、コアなファンに向けて美少女ゲーム的な文脈をどうつくるかとか、そういうことは全く考えていないです。結果的にそういう文脈でも楽しめるものになったのなら嬉しいですけど。

いい意味でも悪い意味でも、映画を観るということは単純に体験として「面白かったのか、つまらなかったのか」という動物的な反応が一番大事だと思うんですよね。

「映画が伝えたいメッセージに賛同できなかったのに、思わず泣いてしまった」といったことを言われるのが一番嬉しいし、何かが出来たような気がします。

──結果的に30~40代に届いたということもそうですし、作品として「セカイ系の統括」という捉え方もされているようですが、それに関してはどう思いますか?

新海 そういう意識も、自分には全くありませんでした。今自分が一番気になっているテーマや、みんなが共有しているような気がする空気感の描き方が、結果的にセカイ系に見えると言われてるだけだと思うんです。

たとえば2000年代初頭にセカイ系は批判も含めて、「個人と個人の物語が間の社会をすっ飛ばして世界の運命を変えてしまう」「作中に社会が存在しない」という言われ方をよくされていました。

でもなんで「社会」がないのかと考えると、2000年代初頭は「社会」の存在感が薄い時期で、それを意識する必要がなかったからだと思うんですよね。

僕も『ほしのこえ』などでそういう作品をつくってきましたが、リーマンショックや3.11よりも以前のことなので、「日本経済は衰退していくけどなんとなくこのまま終わりなき日常が続くんだろう」みたいな気分がみんなの中にあったと思うんです。

もちろん社会や経済が重要じゃなかったということとは少し違うんですが、そういう気持ちの時はわりと「社会」が透明な存在だったから作品のテーマにはなりづらかったんだと思うんですよね。つくり手の人たちも社会の見え方が薄い映画をほとんど本能的につくっていたんだと思います。だから僕も、当時から「セカイ系をつくっている」という意識はありませんでした。

僕は、『天気の子』は「帆高と社会の対立の話」、つまり「個人の願いと最大多数の幸福がぶつかってしまう話」だと思っているので、今作の中では「社会」は描いているんですよね。

デフォルメされたものであったとしても「警察」がずっと出て来るし、主人公たちは「お天気ビジネス」を通して様々な人と出会い、働いてお金を得ようとするわけで、それはそこに「社会」がないと出来ないことです。

僕のつくるものがそういうものになってきているということは、僕がどうこうというよりもみんなにとって「かつてのように社会が無条件に存在し続けると思えなくなってきている」「社会そのものが危うくなってきている」という感覚があるからこそだと思っています。

だからアニメーションの中でも必然的に「社会」があることが必要になってきている。今はそう感じています。

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最終更新:8/21(水) 20:31
KAI-YOU.net

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