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本場アメリカが「すごい」と最初に認めた日本人女性ミュージシャン

8/21(水) 7:31配信

デイリー新潮

 テレビのバラエティ番組でお馴染みの企画に「世界で有名な日本人は?」という類のものがある。国によって挙がる名前は多少ちがいはあるけれども、ヨーコ・オノ、坂本龍一、野茂英雄、安倍首相、渡辺謙、大谷翔平あたりがランクインの常連だろう。

 こういうランキングでは滅多に登場しないものの、半世紀近く前からジャズの本場、アメリカで高い評価と人気を博した日本人女性のミュージシャンがいる。

 ピアニストの秋吉敏子だ。

 上原ひろみなど、今となっては世界的な人気を博している日本人ジャズミュージシャンは珍しくなくなってきたが、秋吉がアメリカに挑戦したのはまだ渡航すら自由ではなかった時代。それだけにそのサクセス・ストーリーはとてもドラマチックだ。往々にして日本のミュージシャンが「海外で人気!」と報じられる際には、実は日本国内向けの仕掛けだった、というケースもあるのだが、彼女の場合はまったくそうしたものとは異なる。

 その成功の軌跡を『秋吉敏子と渡辺貞夫』(西田浩・著)をもとにご紹介しよう(以下、登場人物の発言など引用はすべて同書より)

偶然から始まった米国デビュー

 秋吉の米国デビューは、いまから半世紀以上昔の話。偶然が重なった結果だった。

 1953年10月、日本のジャズクラブの走りといっていい「テネシー・コーヒー・ショップ」が銀座にオープンした。店の昼の部でピアノを弾いていたのが秋吉だ。

 その店に11月、アメリカの有名なジャズミュージシャン、オスカー・ピーターソンがやってきて、演奏を聞いた。1曲終わって、2曲目を披露しているときに、ピアノに歩み寄り、「夜もどこかでやっているか?」。

 心臓が爆発しそうな思いで、秋吉が場所と時間を伝えると、自身、コンサートを終えたピーターソンが本当にやって来た。しかもピアノまで弾いてくれ、終わると「話があるから、明日午後、ホテルに来てほしい」と告げた。

 翌日、ホテルに行くと、ピーターソンは同行している音楽プロデューサーに彼女を紹介したうえで、そのピアノを絶賛し、「彼女のレコードを出すべきだ」と訴えた。

 プロデューサーも、「君が勧めるのだから、私があれこれ言うことはないだろう」とあっさり承諾。何とその場で話が決まり、来日中の錚々たるメンバーと1週間後にはレコーディングまでしてしまった。

 こうして、彼女の初となるアルバムは本当にアメリカで発売されたのである。

「米国に行ったこともないのにと、何とも不思議な気持ちでした」

 このことでもともと彼女が持っていた「米国に行きたい」という気持ちに火がついた。

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最終更新:8/21(水) 7:31
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