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ミャンマー特集(6) 丸山市郎・駐ミャンマー大使に聞く

8/22(木) 14:53配信

nippon.com

野嶋 剛

丸山市郎・駐ミャンマー大使は外務省きってのミャンマー通で、外交官人生を通してミャンマーと関わってきた。その目には、この国の未来はどう映っているだろうか。

「決定的な文化の違い」がない日本とミャンマー

野嶋 丸山さんは駐ミャンマー大使で初めて、ミャンマー語を専門に学んだ外交官として着任されました。外務省入省後、希望してミャンマー語(当時はビルマ語)を選んだのですか?

丸山 当時、外務省試験では第6候補まで希望言語を書きます。入省前、人事課長に「君はミャンマー語だ」と言われました。「希望していません」と反論すると、「6番目に書いている」と。実は、書いたかどうか覚えていないんです。でも、人事課長から「嫌だったら採用しないよ」と言われて、もう後の祭りです(笑)。

野嶋 ですが、結果として、丸山さんの外交官人生は深くミャンマーに関わりましたね。

丸山 最初のうちは嫌で仕方がありませんでした。当時はネ・ウィン政権の社会主義経済下で何もない時代。語学研修で初訪問のとき「タマダホテル」というヤンゴンのホテルに最初泊まったのですが、裸電球がぶら下がっていて、クーラーも音だけで一向に涼しくならない。大変なところに来てしまった、絶対すぐに日本に帰ろうと、持ってきたウイスキーをやけ酒であおったのを覚えています。ですが、次第に学んだミャンマー語を使って地元の人々と触れ合い、仕事をしているうちに、どんどんこの国に惹かれていきました。

野嶋 日本にはミャンマーファンを称して「ビルキチ」という言葉がありますね。総じて日本人はミャンマーをとても好きになり、ミャンマー人も日本を好きなようです。どうしてお互い惹かれ合うのでしょうか。

丸山 不思議なことですが、「日本人の常識がミャンマー人の常識」のような部分があると思います。私の感覚ですが、決定的な文化の違いやカルチャーショックが両者の間にはほとんど存在しません。日本語とミャンマー語も発音こそ違いますが、文法の構造は同じで、言語の類似性も強い。

野嶋 ジョークが通じやすいとか、はっきりノーと言わないなど、いろいろ文化的な共通点があるらしいですね。ただ、第二次大戦中に日本軍は英領ビルマで英軍と戦い、この土地を戦場にしました。そうした歴史に絡んだ負の感情はミャンマー人にはないのでしょうか。

丸山 日本人はミャンマー人と戦争を戦ったわけではありません。ただ、この国を戦場にし、迷惑をかけたのも事実です。一方、インパール作戦の逃亡日本兵をミャンマー人が助けてくれた例は数限りなくあります。戦後の食糧難の時は、ミャンマーは優先的にビルマ米を日本に輸出してくれました。私の父親も、来たことはなくても、ビルマ米の名前は覚えていました。

日本も、社会主義国時代や軍政時代にも、トップドナーとしてODA(政府開発援助)をこの国に出し続けてきました。そのおかげで、ミャンマー政府は日本に大きなシンパシーを持ってくれており、各国の外交団からもうらやましがられる時があります。

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最終更新:8/22(木) 14:53
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