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[甲子園・記者コラム]監督不在の時期もあった星稜が決勝まで勝ち上がれた理由は?

8/23(金) 10:31配信

週刊ベースボールONLINE

日本中が注目する甲子園。現地で取材を行う記者が、その目で見て、肌で感じた熱戦の舞台裏を写真とともにお届けする。

【画像】恩師と捕手が証言。奥川恭伸のココがすごい!

山下総監督の息子が部長

 なぜ、星稜は24年ぶりとなる決勝の舞台に勝ち上がれたのか。

 あの2カ月、を乗り切ったからである。

 3季連続出場で優勝候補筆頭に挙がった今春のセンバツは、習志野(千葉)との2回戦で敗退。「サイン伝達疑惑」(星稜サイドが確認を取るも、審判員のジャッジにより、疑わしき行為はなかった)があった一戦である。すでに「最終判断」が下されていたのにもかかわらず、星稜・林和成監督が試合後の取材を終えると、相手校の控室へ直接、抗議。この行動が問題視され、学校側は一連の騒動を受け、林監督に4月上旬からの指導禁止の処分を言い渡した。北信越大会は閉幕まで約2カ月、指揮官はグラウンドから離れた。

 指揮官不在の間、チームを預かったのが山下智将部長だった。父は甲子園に春夏を通じて25回出場し、1995年夏の甲子園では準優勝へ導いた山下智茂総監督である。

 山下部長は星稜中3年時、全日本少年で優勝。高校進学に際して、父・山下監督は高校全日本で交流のあった上村恭生監督(故人)が率いる智弁学園(奈良)に預けるつもりでいた。しかし、山下部長は断固拒否。「生まれたときから自宅は(スクールカラーである)黄色一色でした。物心がついたときからオヤジは監督。星稜以外は考えられなかった」。

 しかし、この選択は「親子断絶」を意味した。山下部長も覚悟の上。しかし、関係者は明かす。「あの学年で一番、鉄拳制裁を受けたのは智将」。2年夏の甲子園には控えの内野手(背番号15)として出場。同秋の北信越大会1回戦で敗退し、センバツが事実上絶望となって以降は主将を任された。父・山下監督の下で、長男は「我慢」を覚えた。

 専大(準硬式)を経て、国士館大大学院と並行して、体育学部の科目等履修生として保健体育科の教員資格を取得。卒業後に星稜の経営母体である稲置学園に奉職し、5年間の事務職員を経て、2011年から母校野球部の副部長に就任。13年から林監督を支える部長(責任教師)となった。

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最終更新:8/23(金) 10:56
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