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金田正一「最強の左腕が積み上げた通算400勝を支えたもの」/プロ野球20世紀の男たち

8/23(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

【画像】アンチ巨人の象徴、金田正一が巨人入り

球種はストレートとタテのカーブのみ

 巨人で通算868本塁打を放った王貞治と、国民的スーパースターの長嶋茂雄。一時代どころか、時代を築いた“ON砲”だったが、もちろん順風満帆、無人の荒野で快進撃を続けていたわけではない。そんな2人に立ちはだかった男たちもいた。その筆頭格といえるのが左腕の金田正一だ。いや、“ON”の上に君臨するような存在だった。最初に所属したチームは国鉄スワローズ。現在のヤクルトだ。若い人には、この国鉄という言葉にも説明が必要かもしれない。国鉄が分割民営化でJRとなってからも、ずいぶんと月日が流れた。もちろん、その出来事よりも昔の話だ。

 1958年、“ゴールデン・ボーイ”と騒がれた長嶋のデビュー戦では4打席連続で空振り三振を奪ってプロの意地を見せたが、このとき、すでにプロ9年目に突入していた。前年までに積み上げた勝ち星は182勝。この58年には自己最多の31勝で2年連続2度目の最多勝に。のちに自身が設立に携わる名球会への入会資格のひとつは通算200勝だが、早々にボーダーラインを突破したことになる。

 2リーグ分立の50年シーズン途中、17歳のときに国鉄へ入団した。翌51年には22勝。18歳35日で史上最年少のノーヒットノーランも達成している。球種は基本的にストレートとタテのカーブという2種類のみで、球は速いが、とにかくノーコン。制球が安定していくにつれ、奪三振も増えていった。これには、所属していたチームが国鉄だったという事情もある。とにかく国鉄は弱かった。打たせて取る投球では失策を招く。ピンチの場面では三振を奪うしかなかったのだ。

 バットを持っても、野手をしのぐ勝負強さを見せた。54年8月21日の中日戦ダブルヘッダー第2試合(中日)では、左腕では初の完全試合を達成。愛知県の出身で、地元の球場での快挙だったが、9回裏に判定を巡って地元ファンが暴走、40分ほどの中断があり、「そんなにワシのことが嫌いか!」と怒りに震えたが、いざマウンドに戻れば、たったの6球、2連続三振で試合を締めくくっている。

 サービス精神も旺盛。常にファンを楽しませることを考えていた男でもあった。グラブを叩きつけるパフォーマンスもあったが、

「打者が狙っているところに(球が)行く。火花が散る。これがおもしろいのだ。ピッチャーがのらりくらりしていたら、球場はお通夜みたいになってしまう。10の力を12まで出し切り、頭からハッスルして相手に向かっていく、そうせねば魅力ある試合はできん」

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最終更新:8/23(金) 11:34
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