ここから本文です

【連載 名力士たちの『開眼』】関脇・巨砲丈士編 艱難汝を玉にす。そして継続は力なり――[その1]

8/23(金) 12:39配信

ベースボール・マガジン社WEB

 ――おっ、アイツじゃないか。
 巨砲は(初土俵のときの四股名は大真。昭和50年春に巨砲に改名。ここでは便宜上、巨砲に統一する)は一瞬、驚いてその場を一歩飛び下がった。額から汗がポタポタとしたたり落ち、黒ずんだ砂が、ふいに今ごろ国技館の土俵に上がっているはずの兄弟弟子の闘志あふれた目玉に見えたのだ。

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

甲子園を夢見る野球少年から一転

 しかし、落ち着いてよく見ると、それは間違いなく潮の香が染み込んだ故郷の四日市の砂だった。不本意な帰郷をして以来、ずっと取り憑かれている焦りの虫がこんなとてつもない錯覚を生んでしまったのである。

 ――ああ。ビックリした。でも、今に見ていろよ、必ずみんなに追いついてやるから。

 巨砲は、小さくつぶやくと右足を飛ばし、さっと黒い湿りの上に砂をかけた。

 空は光にあふれ、時はまさに初夏だった。海水浴にはまだちょっと早く、砂浜の人影はまばらだったが、キラキラと5月の太陽に踊っている海面を渡ってくる風は、汗ばんだ体になんとも心地よい。

 しかし、70キロのバーベルにつないだひもを腰に結び、左ヒザの痛みをこらえながら砂浜を必死に往復している巨砲の心の中には、夢も希望も凍らす冬の木枯らしが吹いていた。

 この巨砲が四日市を出て、32回も優勝した大横綱、大鵬の内弟子になったのは、ちょうど5年前の昭和46(1971)年の、同じ初夏のことだった。このとき、巨砲はまだ中学3年になったばかりである。

「あのころの自分は、真っ黒に日焼けした野球少年。ピッチャーをやってましてね。四日市ではちょっとしたもんだったんですよ。体も大きかったし。そのため、1年のとき、3年と間違えられて、甲子園によく出場している東邦高の監督から『ウチに来ないか』と声をかけられて。卒業したら、東邦に進学するつもりでいたんです。ところが、たまたま東京から転校してきた同級生が元二所ノ関部屋の力士の娘でしてね。その関係で、いつしかその娘のオヤジさんに目をつけられ、中学2年の春場所、一緒に大阪まで相撲を見に行ったんです。そのとき、(大鵬)親方とも会いましてね。『入ってくれるんだろう』と肩をたたかれ、周囲のムードに圧倒されたというか、乗せられてたというか、とにかくボーッとなってしまって、思わず、ハイ、と言ってしまったんですよ。これで一巻の終わり。自分のオヤジが元時津風部屋の力士(元十両剣龍)ということも、それまでまったく知りませんでした」

 と平成4(1992)年夏場所限りで引退した巨砲改め大嶽親方は、甲子園を夢見ていた球児が一転して横綱を夢見るようになったいきさつをこう披露する。

 このときの大鵬はもう晩年。巨砲が大鵬の愛用していた心、技、体の三つ揃いの化粧廻しのうちの一つ、「心」を借りて一番出世の披露を受けた46年夏場所6日目。まるでこの愛弟子に「あとは頼むぞ」と託すように引退してしまったが、少年の心を酔わさずには置かない魅力を漂わしていたのは確かだった。

 このことは、こうして巨砲が上京したとき、すでに内弟子が26人もいたことでよくわかる。巨砲は27番目の弟子だった。

 この弟子の数が多いということは、それだけ身近にたくさんのライバルがいる、ということだ。それから5年。この巨砲をはじめとする大鵬の弟子たちは順調に成長し、十両一番乗りを目指して幕下に大量進出していた。

 その争いがどんなにホットで激しいものだったか。51年初場所の番付の、東22枚目の満山を筆頭に、巨砲、龍谷、鳳山、村山、栗原、黒滝、神ノ里ら、大鵬部屋の力士たちがそれこそ数枚置きに名前を連ねているところを見ただけで、おおよそのところは想像がつく。

 ――一番乗りはオレのもんだい。

 ようやく幕下上位に這い上がり、力士としての自信がつきかけてきたところだっただけに、そんな中で巨砲は負けん気いっぱい。この51年初場所、東24枚目の巨砲は、この意気込みが乗り移り、初日から3連勝、と願ってもないスタートを切った。

 次の四番相撲は惜しくも負け、ストレート勝ち越しはならなかったが、それでも3勝1敗は上々だ。ようし、ここで大勝ちして、一気にみんなとの差をつけるぞ、と巨砲がますます自分に鞭を入れたのは当然だった。

 しかし、結果的にはこれが仇に。この張り切り過ぎが、それまで円滑に回転していた攻めのリズムを微妙に崩し、逆に墓穴を掘る作用もあることを、まだ若い巨砲は気付いていなかった。(続)

PROFILE
巨砲丈士◎本名・松本隆年。昭和31年4月18日、三重県四日市市出身。二所ノ関→大鵬部屋。183cm146kg。昭和46年夏場所、大真で初土俵。50年春場所、巨砲に改名。52年名古屋場所新十両、54年春場所新入幕。最高位関脇。幕内通算78場所、533勝637敗。殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞1回。平成4年夏場所に引退し、年寄大嶽を襲名。9年7月に楯山に名跡変更、20年9月退職。

『VANVAN相撲界』平成5年12月号掲載

相撲編集部

最終更新:8/23(金) 12:39
ベースボール・マガジン社WEB

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事