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三菱ギャランはこんなに革新的だった! 初代~5代目を振り返る(追憶の「わが日本車」第3回:日下部保雄と初代~5代目ギャラン)

8/23(金) 20:42配信

GQ JAPAN

三菱自動車を代表するミドルセダン「ギャラン」は、同社の成長において、重要なモデルだった。記憶に残るかつての日本車を追憶するシリーズの第3回。

【写真を見る】GTO、FTO、ギャラン・ラムダなど派生モデルもカッコよかった!

“コルト”の名がついた初代

今でこそ三菱自動車(以下、三菱)は“SUV”と“電動化技術”に突き進んだメーカーとしてのポジションを築いているが、今から約半世紀前、画期的な乗用車を世に送り出し、後の三菱の隆盛に大いに貢献した。それが「ギャラン」である。

ギャラン登場以前にあった「コルト」の名前を冠し、「コルト・ギャラン」として登場したのは1969年だった。鋭角的でグラスエリアを大きくとったエクステリア・デザインはどの日本車よりも垢抜けており、今でも新鮮だ。

SOHCの「サターン・エンジン」は1.3リッターと1.5リッターがあり、前者は「A1」、後者は「A2」とネーミングされた。

三菱は乗用車メーカーのなかでトヨタや日産自動車などメジャー・グループから技術面などで遅れてしまっていたが、満を持して投入したコルト・ギャランはパワートレーンからサスペンションまですべてを一新し、デザインの斬新さはエクステリアのみならず、インテリアにも及び、明るい車内に相応しいソフトパッドを多用したダッシュボードや、ウレタンを上手に使い分けたシートなど、触れるものすべてが新しかった。

当時、国内ラリーにはワークスチームも参戦しており、三菱は木全巌選手や若手の篠塚健次郎選手が大活躍していた時代だった。三菱のワークスチームは、コルト・ギャランを手に入れ、一気にラリーのトップコンテンダーとなり、やがて海外ラリーに進出する基盤を作った。

実際、私もラリーで入賞出来るようになったのはコルト・ギャランのハンドルを握ってからだった。最初は友人のクルマを運転し、速さとコントロール性に魅力を感じ、翌シーズンは「A2GS」を手に入れ、早速、三菱のディーラーにあったスポーツコーナー(当時多くのディーラーに設置されていた)でラリー用スポーツキットを選び、組み込んだのは言うまでもない。

軽いエキゾーストノートのサターン・エンジンは、SU型ツインキャブでレスポンスも良く、かつロングストロークのため、中速トルクもあってラリーでは圧倒的に使いやすかった。

コルト・ギャランのサスペンションは、従来のコルトからフロントはストラットに進化したが、リアはオーソドックスなリーフリジットで、ノーマルでも硬い乗り心地は、ラリーサスに換装した結果、ピョンピョン飛び跳ねるようになった。砂利道ではリアだけが簡単に横滑りして不利だったが、それ以外のダートではコントロールしやすく、900kgを切る軽い重量と相まって、思い通りに走ってくれた。

一方のラリーの雄、「510ブルーバード」はリアのグリップが高く、限界点もあがっていたので、ギャランとは違ったドライビング・スタイルが必要だった。友人のクルマと乗りくらべ、その違いを知ったことは後にとっても役立つことになった。

A2GSは1972年半ばに、1.6リッター直列4気筒エンジン搭載の「16L GS」になる。初代のシンプルさは薄れたものの、時代の要求に従って、そして競合車のスポーツモデルの主流が1.6リッターだったことから排気量をアップした。やはり100ccの違いは大きく、もはやラリーではA2GSでは太刀打ちできなくなっていた。

コルトのネーミングは初代しか使われなかったが、そのあいだ、1970年には流麗な2ドア・ハードトップモデルを、そしてファストバックの「GTO」も立て続けに投入し、三菱の自動車業界におけるポジションも急角度で上昇した。

ちなみに三菱のラリー活動は1973年に登場した「ランサー」に引き継がれ、ラリーフィールドでギャランの名をタップリ聞くのは6代目に設定された「VR4」まで待たなければならないが、今でも初代ランサーよりギャランA2や16Lのハンドリングと軽快さを懐かしむドライバーは多い。

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最終更新:8/23(金) 20:42
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