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電動車椅子で生活する私が「24時間テレビ」と“感動ポルノ”を支持する理由

8/24(土) 17:00配信

文春オンライン

 夏真っ盛りである。夏の風物詩といえば花火、かき氷、そしてなんといっても「24時間テレビ」と“感動ポルノ”にまつわる論争である。

【画像】BBCで障害者アナウンサーとして活躍したケリー・バーネル氏

 私の名前はダブル手帳( @double_techou )。身体障害者手帳1級(重度脳性麻痺)と精神障害者手帳3級(発達障害)を持っていることから思い付いた安易なペンネームを使って執筆している。生まれつき歩くことができず、背筋は湾曲し、右手も自由にならないため、電動車椅子で生活している。

 私は「24時間テレビ」に代表されるいわゆる“感動ポルノ”に何ら問題を感じない。以前執筆した「 障害者から見た『感動ポルノ』について 」というブログと重複する部分もあるが、以下に私の持論を展開したい。

“感動ポルノ”批判の問題点

 まずはじめに、「感動ポルノ」とは何だろうか。現在ではその定義も拡散しているが、本稿ではこの言葉が人口に膾炙するきっかけとなったオーストラリアのコメディアン、ジャーナリストの故ステラ・ヤング氏(2014年に逝去)のスピーチ「 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく 」に準拠したい。

 ステラ・ヤング氏は感動ポルノを「障害者をモノ扱いし、健常者が感動したりやる気を起こしたりするために利用すること」と定義する。そして「障害者が特別視されるのではなく真の成果で評価される世界」を望むため、感動ポルノを問題視する。



 
 彼女のスピーチには一理ある部分もあるが、私は基本的に反対の立場だ。理由は、彼女の言うように障害者を特別視せず「真の成果」(健常者と同じ物差しで測った社会的成功)なるもので評価される世界になれば、障害者の努力が過小評価されてしまうからだ。

 今まで立つことができなかった脳性麻痺者が数秒間だけつかまり立ちができるようになったとか、今まで一言も発したことがなかった知的障害者が初めて単語を発したとかいうのは、彼女の言う「真の成果」ではないのかもしれないが、ノーベル賞を取るのと同じくらいすごいことだし、感動や賞賛の対象になってしかるべき達成だと思う。

 殆どの障害者が多かれ少なかれそういう達成の積み重ねの上に自分なりの生活を築いていることを考えれば、彼女が批判する「障害を持って生活するだけで立派だ」という考え方も決して間違いとは言えない。

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最終更新:8/24(土) 17:00
文春オンライン

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