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私が車の免許を手放した黒歴史|おとなの手習い

8/24(土) 6:05配信

幻冬舎plus

香山リカ



「これからの人生、どうしよう?」と考えるお年頃を迎えた香山リカさん。ライフシフトのためにまず取りかかったのが、「先立つもの」の調達でした……。*   *   *

50代も後半になり、“一念発起”をした私。

「将来、無医村の診療所で医者をやることになるかも。いや、やらないかもしれないけれど、本当にその気になったらやれる準備だけはしておきたい」というあまりに不確定な夢を抱いて、まず考えたのは「自動車免許の取得」だ。

実は私は、大学生時代に一度、自動車免許の教習所に通い、免許を取ったことがある。しかし、次に述べるような経緯で、免許の更新をやめてしまったのだ。 

本などを出すようになり、ときどき雑誌から「私の人生」といったテーマで取材を受けるようになると、インタビュアーからよく「これまでいちばん苦労されたことは何ですか」という質問を受ける。そのときいちばん最初に頭に浮かぶ答えは、「学生時代、自動車学校に通ったこと」だ。

とはいえ、そんなことを話して活字になったら、読者は「え? 人生のいちばんの苦労は自動車学校? ……なにを甘えたこと、言ってるんだ」と不快になるだろう。だから、その答えはぐっと呑み込んで、「なんといっても大学病院での研修が終わり、外の民間病院に配属されてひとり立ちしたときですね。いきなり200人もの入院患者さんを担当しなければならなくなって、文字通り寝る時間もなくなりました」などと話す。

もちろん、それはウソではない。その病院での勤務は考えられないほど苛酷であった。ただ、いくらつらくてもそれは“仕事”であったし、看護師や作業療法士などたいへんさを分かち合う仲間もいた。その病院での勤務は2年間続いたのだが、私にとっては、学生時代の数カ月間の自動車学校の方が心理的には実はずっとつらかったのだ。

北海道の実家を離れ、東京の大学に通っていた私は、夏休みを利用して実家近くの自動車学校に入った。「夏休み中に免許が取れれば」という考えだったのだが、それは完全に甘かった。

もともと運動は不得意で、自分は反射神経などが良くないな、ということはわかっていたのだが、それにしてもここまで自動車の運転に向いていない、とは思わなかった。それくらい、本当に最初の教習から指導員に「エンジンかけないと動かないでしょう? あー、キーはそこに刺すんじゃなくて」と注意されっぱなしの状態になったのだ。

「しまった、運転は自分にはムリなんだ」と気づいても、時すでに遅し。恥ずかしながら教習所の料金は親が一括で払ってくれており、いまさらやめるわけにはいかない。

ひとつの段階が終わるたびに指導員からハンコをもらうのだが、一度でそれを押してもらえることはなく、加速、バック、踏切での一時停止などすべてを2時間、3時間と繰り返して、ようやく「まあしょうがないな」とハンコを押してもらう、という具合だった。

イナカの教習所なので指導員の数も限られており、何度も同じ人にあたるうち、「またキミか」という顔をされる。あるとき指導員にきかれた。「キミは学生? どんな勉強してるの?」。私は正直に「医学部に行ってます」と答えたら、指導員はぎょっとした顔をして、「え、医者になるの? こんなに注意力もなくて不器用なのに? こわいなー、キミには診てもらいたくないなー」と言ったのだ。

いまなら「自動車の運転と医者のスキルは関係ないじゃないですか。そんなこと言うのやめてください」と反論できるが、なにせそのときはハタチそこそこだったし、それまでに、注意というか叱責されては「スミマセン」と謝る、というパターンができあがっていたので、真剣に「医者になるのはやめた方がいいかも」と思うほど自信がなくなった。

それでも毎日、通ううちに教習生でも顔見知りができた。高校を出たばかり、という若い女性たちとは気軽なおしゃべりなどもするようになり、ある日、ひとりが「帰りにウチ寄らない?」と言ってくれて数人で彼女のアパートに出かけた。

そこでしばらくおしゃべりしながら音楽を聴いたりして、ひとりが私に「あなた、東京から来たんだって? 何やってるの?」ときいた。そこでも私は正直に「大学の医学部に行ってるの」と答えたら、そこにいた数人の、いまで言えばギャル風の女性たちはいっせいにこう口にしたのだ。「えー、医学部って解剖とかあるんでしょ? 気持ちワリー」「血とか平気なんだ。こわーい」。

それまで「医学生です」と言うと、ほとんどの人は「すごいですね」「お医者さんになるんですか。がんばってください」と好意的な反応をしてくれたのだが、「キミには診てもらいたくない」とか「気持ち悪い」と言われたのははじめてのことだった。それも私をいっそう委縮させ、その後の教習ではさらに失敗をしたり手順を忘れてしまったりするようになったのだ。

そのうち親も私があまりにいつまでも教習所に通い続け、「仮免試験に受かった」とか「もうすぐ卒業だ」と言わないことを不審に思うようになったのか、「まだ取れないの?」「ちゃんと通ってるんでしょうね」などときいてくるようになった。

とくに母親はかなり器用で、私が小学生のときに自動車学校に通ってなんの苦もなく卒業して免許を取得していたのだ。私は「もうすぐだよ」などとごまかしていたが、「今日もハンコをもらえなかった」と思いながら教習所から家に帰るのがだんだんつらくなり、少しでも帰宅を遅らせるためにバスにも乗らず何キロからの道を歩いて戻るようになった。その頃は相当、気持ちの上でも追い詰められていたと思う。

それでも、結果的にというか奇跡的に免許は取れた。仮免試験は6回くらい落ち、本試験は3回目に受かった。試験官は「まあオマケだな。実際に乗るときは相当気をつけてよ」とつぶやいていた。

本来ならそこで「やった! 私にもついに免許が取れた!」と喜び、それを糧として運転にいそしみ……となってよいはずだが、そうなるにはあまりに私は自信を失っていたようだ。

その後、何度か家にあった車に乗ってみたのだが、ガソリンスタンドへの入り方もわからなければ、ガソリンが出てくるノズルの近くに停車することもできない。「すみません、クルマ動かしてもらえませんか」とスタンドの従業員に頼み、そのあともスタンドから道路に出るタイミングがわからない。そんなことが繰り返され、いつも同乗してくれていた弟から「おまえ、もう運転はムリだよ。免許なんかあるから運転したくなるんだから、これはいますぐ捨てるんだな」と言われたのだ。

私は「そうだね」とうなずき、さすがにすぐ捨てることはなかったが、「もう二度と運転のことは考えまい」と自分に誓い、はじめての更新のお知らせが来てもそれを無視して更新しなかった。学校のお金を出してくれた親には本当に申し訳ないとは思ったが、それよりも「免許はすべての災いのもと」という思い込みが勝ったのだ。

そんなトラウマがあるのに、もう一度、免許を取ろうと思うとは、私もおとなになったものだ……。


■香山リカ
1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

最終更新:8/26(月) 12:05
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