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球場ライブに黄色い歓声や出待ちも! ジャズが大衆音楽だった頃

8/24(土) 7:31配信

デイリー新潮

 この夏も各地で音楽フェスが開催され多くの観客を集めている。フジロックやサマーソニック、あるいはロック・イン・ジャパン等、フェスというとどうしてもロック、ポップ、ダンス系のアーティストのものというイメージが強いものの、ジャズフェスティバルも根強い人気を誇る。人気の高い「東京JAZZ」は今年で18回目だ。とはいえ、ロックフェスと比べると大人しい印象があるのも事実。実際のところ、演奏中に観客が騒ぐことは滅多にないし、黄色い歓声が飛ぶようなことも少ない。

 しかし、実はかつてこの日本で、ジャズこそが最先端の大衆音楽だった時代もあった。日本ジャズの黎明期を描いた『秋吉敏子と渡辺貞夫』(西田浩・著)によると、その人気ぶりは現在のアイドル並で、ライブの盛り上がりはEDMのイベントのようですらある。何せ球場ライブまで行われていたのだ。著者の西田氏は、当時を知るミュージシャンらに丹念に取材して、黄金時代の雰囲気を伝えている。

 以下、同書から、ジャズの黄金時代の様子を見てみよう(引用はすべて同書より)

 サンフランシスコ平和条約が発効し、日本がようやく主権を回復した1952年。米軍から慰問ではなく、純粋に日本人のために、大物ミュージシャンが来日する。

 米国の大物ドラマー、ジーン・クルーパ率いるトリオだ。

「日本のファンにとって、これまでレコードでしか知らなかった本場の一流どころの生のステージに触れる初めての機会だった。翌年(1953年)には、敏腕プロデューサー、ノーマン・グランツが編成したオールスターバンド、ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(JATP)がやって来た。エラ・フィッツジェラルド、オスカー・ピーターソン、レイ・ブラウンをはじめ、錚々(そうそう)たる顔ぶれで、羽田空港から銀座まで、オープンカーでパレードしたという」

 現代では、いかにスーパースターであってもパレードは考えられない。この年にはルイ・アームストロングも来日している。

 盛り上がっていたのは「洋楽」勢だけではない。日本人のジャズミュージシャンたちも負けない人気を誇っていた。

「53年、ドラマーのジョージ川口率いるビッグ・フォーが結成され、大旋風を巻き起こした。『レイモンド・コンデとゲイ・セプテット』の川口、小野満(みつる)(ベース)、『渡辺晋とシックス・ジョーズ』の松本英彦(サックス)、中村八大(ピアノ)という、人気バンドのスタープレーヤーが結集した、いわばスーパーグループで、絶頂期には後楽園球場や西宮球場でコンサートを開き、満員にするほどだった」

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最終更新:8/24(土) 7:31
デイリー新潮

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