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稲尾和久「神様や仏様と並び称された鉄腕が投げまくった理由」/プロ野球20世紀の男たち

8/25(日) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

61年に78試合で42勝

 1年目の球種はストレートのみだったが、それが右打者の内角を狙えばシュートに、外角を狙うとスライダーに、ナチュラルに変化した。これで21勝、防御率1.06で最優秀防御率、新人王に。巨人との日本シリーズでも6試合すべてに登板して3勝。2年目の57年は20連勝を含む35勝で防御率1.37、スライダーに磨きをかけた3年目の58年は33勝、防御率1.42で2年連続の投手2冠、58年はリーグ最多の334奪三振もあり、最大11.5ゲーム差を逆転してのリーグ3連覇へと西鉄を導いた。

 第1戦から3連敗と追い込まれた巨人との日本シリーズでは第4戦から4連投4連勝で、西鉄は3年連続日本一。第5戦では自らサヨナラ本塁打を放った。このころには「神様、仏様、稲尾様」と言われ始めたが、最後はボールを握れないほど疲れ果てていたという。61年はプロ野球タイ記録として残る42勝。長くプロ野球記録だった78試合登板は21世紀に4人のリリーバーが上回ったが、内容は大きく異なる。

 細い目と悠然とした雰囲気で、あだ名は“サイ”。しのぎを削った南海の杉浦忠は、

「サイちゃんは投げ終わると自分がステップした穴を必ずならした。僕もマネしたけど興奮すると忘れちゃう。サイちゃんは絶対にない」

 と語っている。70年には“黒い霧事件”に揺れる西鉄の監督に。84年にロッテの監督になったのも、ロッテに福岡への移転を考えていると言われたからだ。杉浦の率いる南海がダイエーとなって福岡へ来たときには、ようやく背負い続けてきた荷物を降ろせた気がしたという。

写真=BBM

週刊ベースボール

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最終更新:8/25(日) 11:05
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