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にっぽんピンク映画全史。性表現を通した政治的メッセージの変遷

8/25(日) 15:31配信

HARBOR BUSINESS Online

「日活ロマンポルノ」の誕生

 そして1950年代に「太陽族映画」で一斉を風靡した日活は1971年からピンク映画一本に路線を変更した。これが「日活ロマンポルノ」である。日活のピンク映画界への参入はその人気を考えると不可避であったと同時にピンク映画というジャンル自体に多大なる影響を与えた。

 「日活ロマンポルノ」は当時予算300万円でピンク映画を撮っていた独立系プロダクションとの差別化を図り、1本当たりの製作費を750万円とした。また、日活は自社スタジオや衣装を既に持っていたため、制作者にとってクオリティの高い環境を用意できた。映画の尺を70分で10分に一回の濡れ場を固定ルールとし、それさえ守ればどんな映画でも作る事ができた。その為、若手監督の登竜門にもなった。

 中でも神代辰巳監督の「四畳半襖の裏張り」(1973年)は永井荷風の「四畳半襖の下張」を原作とし、大正時代の芸者とその客とそれを取り巻く時代の社会政治状況をコミカルに描いたもので、日常生活と世情の交差にハッとさせられるものがある。また、田中登監督の「㊙︎色情めす市場」(1974年)は大阪・釜ヶ崎を舞台とし、立ちんぼの女性から当時のドヤ街を描いたものである。これは前出の「太陽の墓場」を想起させる。

 日活ロマンポルノは1988年に当時興隆してきたアダルトビデオの勢いを受け終焉してしまうが、2016年にはリブート(再始動)プロジェクトとして、園子温・中田秀夫・行定勲・白石和彌・塩田明彦という現在日本を代表するような監督陣が日活ロマンポルノを製作した。

 とはいえ、ピンク映画自体はその後、今でも製作はされてはいるが、やはりアダルトビデオに比べるとその光は失ってしまったと言っても過言ではない。しかし、ピンク映画が日本の映画史の中でとても重要な位置を占めるという事は否めない事実である。また、今後も技術の発展と共ない、多様な性コンテンツの中で社会・政治的なメッセージを包含するものがもっと出てきても良いのではないかと考える。性を性だけで切り取るのではなく、生活の一部として認識する事が重要なのである。

【小高麻衣子】
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院人類学・社会学PhD在籍。ジェンダー・メディアという視点からポルノ・スタディーズを推進し、女性の性のあり方について考える若手研究者。

ハーバービジネスオンライン

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最終更新:8/25(日) 15:31
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