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レオナルド・ダ・ヴィンチは音楽家・演出家でもあった~古楽アンサンブル「アントネッロ」を中心とした「ダ・ヴィンチ音楽祭in川口vol.1」から

8/26(月) 8:10配信

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イタリア・ルネサンスの代表的人物レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の、今年は没後500年にあたる。「モナリザ」「最後の晩餐」など不滅の美術作品を残し、建築・土木工学・解剖学・生物学・天文学・力学などに通じる科学者・発明家でもあったダ・ヴィンチの精神を、音楽面からクローズアップしようという「ダ・ヴィンチ音楽祭in川口Vol.1」(芸術監督:濱田芳通=アントネッロ代表)が、埼玉県川口市の川口総合文化センター・リリア音楽ホールで8月14~17日におこなわれた。

今回、「ダ・ヴィンチ音楽祭」のメインの出し物として上演された、オペラ「オルフェオ物語」には、何から何まで、驚かされることばかりだった。

そもそも、レオナルド・ダ・ヴィンチ作曲の音楽作品というのは、まったくと言っていいほど、残っていない。しかも、音楽史における「オペラ」の誕生は、ダ・ヴィンチの死後、約1世紀たってから、17世紀初頭のことである。
それなのに、15世紀の人物だったダ・ヴィンチのオペラが上演可能とは、一体どういうことなのだろうか?

オペラ「オルフェオ物語」成立の事情はこうだ。

ダ・ヴィンチはその生涯のなかで、実は祝祭劇の総合演出が重要な仕事のひとつであった。「イベント屋」と言ってもいい側面があった。舞台装置や衣装、小道具などの着想にアイディアをひねり、台本にもかかわらなければ、当然そうした仕事はできない。手稿の中には、それらしきスケッチやメモが残されており、例えば、舞台装置としての岩山のデザインもある。
さらには、ダ・ヴィンチが残した、謎めいた「判じ絵」のなかに楽譜として読めるものがある。その小さな一節を神秘的な軸とすることができる。ダ・ヴィンチも関わったであろう、同時代の作家アンジェロ・ポリツィアーノの「オルフェオ」の台本を元に、当時の音楽素材を集めて、コントラファクトゥム(替え歌)の技法を用いて構成すれば、時代考証的な根拠にもとづく音楽劇ができる――。

記譜されなかった昔の音楽を、少しでも復元するための手がかりは、ある。
すべては綿密な資料調査による“状況証拠”と“仮定”から積み上げていく。
しかも、パフォーマンスとしても、当時のままの雰囲気を伝えるべく、即興的で、生き生きした音楽が、命あるもののように、芽吹かなければいない。

この探求が、古楽の面白さであり、新しさでもある。

今回の「オルフェオ物語」では、後世のオペラの世界で有名なオルフェオの神話とは、かなり違った、意外な結末が用意されていた。
音楽の神オルフェオが、亡くなった愛する妻エウリディーチェを取り戻すために冥界に旅し、音楽の力をもって冥界の王プルートの心を動かし、連れ戻そうとするが、約束を破って地上に戻る前にエウリディーチェの顔を見てしまったために、永遠に彼女を失う。そこまでは同じだが、その後にハッピーエンドは来ず、残虐な結末が待っている。

悲しみゆえ、二度と女を愛さないと誓ったオルフェオ。それに同情するあまり、舞台に登場したダ・ヴィンチと、官能的にもつれあいはじめる。
女性への愛の否定が悲しいパロディのように歌われ、結婚しているすべての男たちに向かって、いますぐ離婚せよと呼び掛けるのだ。

そこへやってきたバッカスの巫女たちが、女性を蔑んだオルフェオへの罰として、首を打ち落とし、ざまあみろという祝宴がえんえんと続き、醜悪に酔いつぶれていく。
最後は、舞台にオルフェオの生首が残り、ダ・ヴィンチの判じ絵に由来するこんな歌をうたう。
「たった一つの愛だけがそれを思い出させ、それだけが心をかきたてる」。

まるで狐につままれたみたいなエンディングである。
リアリズムともおとぎ話とも違う。
神話にもとづく、何か根源的な体験へといざなう、そういうライヴな場を現出させること。
ギリシャやローマの劇世界に由来する、奇怪で残酷な、謎めいた余韻。

それが、もしかすると、オペラなる芸術の萌芽だったのかもしれない。

最後に、当日の演奏について。
古楽系の声楽作品において、カウンターテナー(男の裏声アルト)の官能的な響きは、欠かせない。この日の演奏でも、可憐なエウリディーチェ(阿部雅子)に横恋慕する農耕の神アリステオ(上杉清仁)の性的衝動と、冥界の神プルート(彌勒忠史)の威厳あるオーラと妻に頭の上がらぬ面白さは、際立っていた。その他の歌手たちも、主役オルフェオ(坂下忠弘)をはじめ全員が、単に朗々と声を張り上げて歌うのではなく、よく動きよく演じ、そのなかに歌が、自然に一体となっている素晴らしさがあった。高度に音楽的であり演劇的なのだ。こうしたオペラは、ぜひとも演劇好きに見て欲しいと思う。

アントネッロは、本来は濱田芳通(リコーダー、コルネット、指揮)、 石川かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ) 、西山まりえ(バロックハープ、チェンバロ)の3人のグループなのだが、上演形態に応じて実力派の古楽演奏家たちが参加し、時にはオーケストラのように拡大する。伸縮自在で柔軟なのだ。
彼らの演奏の特徴は、音楽をいのちあるもののように扱い、沸き立つような躍動感を常に持っていることである。退屈とは無縁。今回も、舞台で起きていることと密接なつながりを持ちながら、時間のたつのも忘れるカラフルな色彩感ある演奏で、一瞬たりとも飽きさせなかった。

アントネッロがおこなっている、中世やルネサンスの時代にまでさかのぼる、遠い過去への音楽の旅は、いまの音楽界で最もエキサイティングなもののひとつである。
その面白さはジャンルレスである。多種多様な歌手や演奏家、学者や出版社が集まってくるこの音楽祭の磁場も、今後もっと多くの人を引き寄せていくに違いない。

※8月15日、川口リリア音楽ホールにて所見

文・林田直樹

最終更新:8/26(月) 8:10
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