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ヒュッレムを越えて、オスマン史上最も権力を持った女性とは【偉大な母后キョセム(1)】|オスマン帝国英傑列伝

8/26(月) 6:05配信

幻冬舎plus

小笠原弘幸

およそ600年という史上まれに見る長期間、繁栄を誇ったイスラムの盟主「オスマン帝国」。前代未聞の大帝国を築いたのはどんな人物たちだったのか。
ベストセラー『オスマン帝国』(中公新書)の著者小笠原弘幸氏がオスマン帝国の傑物10人を考察する新連載。
今回は、オスマン帝国史上、女性として最長にして最大の権力を有したといわれる、偉大な母后キョセム。大ヒットドラマ「オスマン帝国外伝」続編の主人公としても今注目の存在です。

聖母マリアのように描かれたイスラムの后

豪奢な衣装をまとった、白皙(はくせき)の肌を持つ貴婦人が、じっとこちらを見つめている。そのはだけた右胸では、年齢には不釣り合いなほど華美な服を着た幼児が乳をはんでいる。

この絵が、西洋の芸術家たちが数え切れぬほど描いてきた、聖母マリアとイエスの肖像を範にとっていることは疑いあるまい。その一方で、母子が身にまとっている被り物や靴の意匠は、このふたりがイスラム世界の貴人であることをうかがわせる。 

 

女性の名は、マフペイケル。

キョセム、という渾名のほうが、より通りが良いだろう。17世紀前半のオスマン帝国において、半世紀ものあいだハレムのあるじとなり、「もっとも偉大な母后」と呼ばれたのが、彼女であった。赤子は、彼女の息子であるムラトかイブラヒムであろうと推測されている。

キョセムは、17世紀初頭のスルタン、アフメト一世(位1603-17年)の后として7人の王子をなした。アフメト一世の死後は、彼の弟であるムスタファ一世(位1617-18年、1622-23年)と他の妃の息子であるオスマン二世(位1618-22年)の短い治世をはさんで、彼女の息子であるムラト四世(1623-40年)とイブラヒム(1640-48年)、そして孫のメフメト四世(位1648-87年)が即位する。キョセムは、3人のスルタンの母そして祖母として、権勢をふるったのだった。

 

この絵の来歴についても触れておこう。

1628年、神聖ローマ皇帝フェルディナント二世(位1619-37年)はオスマン帝国に使節を派遣し、使節団はオスマン帝国で八カ月を過ごした。このとき大使は複数の画家をともなっており、オスマン帝国を題材に取ったさまざまな絵を描かせた。その一枚が、このキョセムの肖像である。

もちろん、キョセムがこのような、あられもない姿でモデルになったとは考えられない。画家が直接、キョセムに拝謁したことがあったかも怪しかろう。ゆえに、この絵は基本的には画家の想像の産物であるといわざるを得ない。

ただ、同時代のイスタンブルに暮らし、外交使節の一員としてオスマン帝国の政治家たちとの付き合いもあっただろう画家が、キョセムの容貌について、いくばくかの噂を聞いてはいたとは考えられる。

 

画家は予想していなかったであろうが、この絵が聖母子に似せて描かれているのは、歴史の皮肉であった。彼女の生涯は、聖母マリアとは似ても似つかぬ、陰謀と血にまみれたものだったからである。

その権勢は、スレイマン一世(位1520-66年)の寵姫として名高いヒュッレムすら超えていた。今回は、オスマン帝国史上、女性としては最大にして最長の権力をにぎったキョセムの生涯を語ろう。

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最終更新:8/26(月) 6:05
幻冬舎plus

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