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アヘン戦争からデモ隊まで、香港の激動の歴史を振り返る

9/1(日) 8:40配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

1992年

最後の香港総督に英国の政治家クリス・パッテン氏が赴任した。中国への相談なしに、1994年の地方選挙と1995年の立法会選挙の民主化改革を発表した。これが中国政府の怒りを買い、交渉は決裂。香港は改革を実行したが、中国は返還後に撤廃する計画を進めた。

1997年7月1日

香港は正式に中国へ返還され、150年以上に及ぶ英国支配は終わりを告げた。上海生まれの実業家、董建華が香港の初代行政長官に就任したが、アジア経済危機への対応や中央政府寄りの政治姿勢が批判を浴びた。

1998年5月

返還後初の選挙は、激しい雨にも関わらず高い投票率を記録し、民主主義寄りの候補者が65%の得票率で圧倒的勝利を収めた。だがそれでも、中国支配下に置かれた新たな選挙制度では、民主主義寄りの候補者は議会の多数派を獲得できない仕組みになっていた。

2003年春

重篤な呼吸器ウイルス感染症のSARSが中国と香港で流行した。SARSは、世界中で8096人が感染し、774人の死者を出している。流行が頂点に達した香港では、人々は公共の場を避け、政府は対応の遅れを非難された。

2003年7月

香港基本法23条の国家安全条例案、いわゆる「破壊防止」法案が言論の自由を脅かすとして、その導入に反対した約50万人がデモを行った。条例案はその後破棄されたが、中国が香港の自由を制限しようとしている証として、国際的な非難を浴びた。

2004年4月

中国は、香港の選挙法改正には必ず中国の許可を必要とすると定めた。これによって中央政府は香港での民主化の動きに拒否権を発動する権限を手にしたとみなされ、香港市民の中央政府への期待は地に落ちた。7月には、50万人規模の抗議運動が起こった。

2006年7月

民主化を求めるデモ行進に数万人が参加した。その後、普通選挙、言論の自由の保護、民主的な政治を求めて、毎年7月のデモ行進が定例行事となった。

2014年8月

香港のトップである行政長官の選挙に際して、候補者は中央政府の承認を得なければならないと中国の立法機関が定め、普通選挙を排除した。これにより、さらなる抗議運動「雨傘革命」が巻き起こった。学生はストライキを、市民は大規模なデモ行進を行い、数週間にわたって町の中心部が占拠された。この運動は失敗に終わり、学生だった主導者の多くは逮捕された。だが、香港での民主化への思いが一層強まり、次の選挙では民主主義派の候補者が多く出馬した。

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