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『浅草川首尾の松御厩河岸』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第45回

9/2(月) 11:08配信

nippon.com

歌川広重「名所江戸百景」では第54景となる『浅草川首尾の松御厩河岸(あさくさがわ しゅびのまつ おうまやがし)』。釣りの名所としても知られた、浅草御蔵(おくら)から隅田川にせり出した松の木越しに描いた一枚である。

艶っぽい江戸の舟遊びを見事に表現

江戸時代には浅草辺り、現在の台東区今戸の南(隅田公園・山谷堀広場付近)から蔵前までの隅田川を「浅草川」と呼んだようだ。古地図を眺めると、蔵前の川沿いは幕府の御米蔵「浅草御蔵」だったことが分かる。陸路での米の運搬には馬が必要なので、当初は北側に大きな厩(うまや)を設置していたそうで、一帯の川辺は「御厩河岸(おうまやがし、おんまやがし)」と名付けられた。現在の厩橋付近には「御厩河岸の渡し」と呼ばれる渡船場があり、対岸の本所石原町からの乗合船や隅田川下流からの船などが着く、水上交通における浅草の玄関口だった。

浅草御蔵には8本の堀があり、真ん中の四番堀と五番堀の間には、隅田川の上まで枝が大きく張り出した「首尾の松」があったという。名の由来には諸説あるが、船で吉原へ行き来する客が、この松の辺りで「今日の首尾は…」「昨夜の妓楼は…」などと情報交換をしたとか。とにかく、この松が吉原や浅草に向かう船頭や乗客にとって目印であったことは間違いない。

広重は夏の宵の口に、首尾の松越しに東岸上流の本所、東駒形(墨田区)方向を描いている。川面にはたくさんの渡し船が往来し、その奥に架かるのが浅草の吾妻橋だ。東の空には満天の星が輝くが、首尾の松の下にひっそりと浮かぶ小型の屋根舟(やねぶね)は簾(すだれ)を下している。よく見ると芸者らしき影がうっすらと見えるので、大店の主人が船上での密会でも楽しんでいるのであろうか。江戸風情が感じられる舟遊びの一幕を見事に切り取った一枚である。

現在、蔵前橋の西詰の欄干近くには、南側に「首尾の松跡碑」、北側に「浅草御蔵跡碑」が立っている。上流側に続く隅田川テラスには、首尾の松の下で釣りを楽しむ男女を葛飾北斎が描いた『首尾松の鉤舟(つりぶね) 椎木の夕蝉(ゆうぜみ)』をあしらったフェンスがあり、その近くには数本の松の木が植えられている。写真は夏の午後8時半頃に撮影したが、夜空には満天の星ならぬ、ライトアップされたスカイツリーが輝いていた。川面をたくさんの屋形船が行き交い、時折、にぎやかな笑い声や大音量のカラオケが響く。風流とは言い難いが、松の下から垣間見た当世の舟遊びも楽し気であった。

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最終更新:9/2(月) 11:08
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