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亡くなった瀧本哲史さんが遺していた「情報消費社会に必要な戦略」

9/5(木) 7:31配信

デイリー新潮

 投資家で京都大客員准教授でもあった瀧本哲史さんの訃報の伝わり方は、ネット時代ならではのものだった。亡くなったことを広く最初に伝えたのは、交流のあった投資家・作家のやまもといちろうさんのブログだ。

 8月15日のブログで、やまもとさんは、このように瀧本さんに向けての言葉を綴っている。

「安心して旅立つことなど人間にはできないのが本質ではありますが、その旅路が輝かしいものであることを、心から祈ります。ありがとうございました」

 問題は、死去といった直接的な表現を避けていた点である。読者はおそらくそうであろうと思いながらも、確信は持てない。そのため、このブログ更新直後から、ツイッターなどで訃報が拡散されていくのだが、あらゆる情報が大元を辿るとこのブログに行きつくという状況に。メディア各社も確認に走ったものの、結局、訃報が正式に報道されたのは、翌日の午後になってからだった。しかしこの時点ですでに多くのファンは、瀧本さんが亡くなったらしい、ということを知っていたのである。

 今回の場合、事実が先に広まっていたわけだが、逆の場合もある。つまりフェイクが拡散するという事態だ。

 流通する情報量が多くなればなるほど、その真贋を見極める能力が求められる――というのは近年よく言われる教訓である。瀧本さんは、かつて著書『戦略がすべて』の中で、このような情報消費社会における「教養」の大切さを説いていた。そこで述べられているのは、氾濫する情報に戸惑う現代人が肝に銘じるべきメッセージである。以下、追悼の意味も込めて、同書の「教養とはパスポートである」から抜粋して引用してみよう。

 ***

 現在、情報消費に関する一つの流れと言えば、圧倒的な情報量の爆発である。インターネットが世の中にばらまかれたことによって、情報を発信するコストが大幅に低下し、誰でも簡単に情報を発信することができるようになった。

 個人の情報発信が爆発しただけではなく、旧来のメディアもスペースの制限がなくなったため、以前は編集段階でカットしていたような情報もネットで配信するようになった。その結果、テキスト情報も、音楽配信も、動画配信も爆発的に量が増えていった。

 そして消費者は常にスマートフォンという情報の入り口に接続され、絶え間なく情報がプッシュされるようになったのだ。

 常にネットワークと接続していることは、単にコンテンツとつながっているだけではなく、仕事やプライベートでの人間関係とも絶えずつながっている状態になる。

 即ち、現代人は過剰な情報と人間関係にさらされ、たとえ人間自身の情報処理能力が上がっているとしても(実際、歴史的に見れば、人間の話す速度、聞いて理解できる速度、読書速度は上がっている)、それを上回るスピードで刺激が増えているのだ。

 つまり、あらゆる人が情報処理速度を上回る刺激に悩まされる、そういう状況なのである。

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最終更新:9/5(木) 7:31
デイリー新潮

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