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差別から逃れるように暮らしていた? 戦前の日系人集落跡、カナダの森林で発見

9/9(月) 19:06配信

ニューズウィーク日本版

──茶碗や酒瓶など1000点以上が出土

カナダ西部のブリティッシュ・コロンビア(BC)州にある森林の中で、日本人のものと思われる集落跡が発見された。バンクーバー周辺のニュースを扱う地元紙ノースショア・ニュースが8月に伝え、その後、雑誌スミソニアンなどが報じた。

■日系人集落跡の動画はこちら

この集落跡地を発見したのは、BC州バンクーバーのキャピラノ大学で考古学を教えるボブ・マックル教授だ。2004年、同州の森林に興味深い場所があるとの連絡を受けて、発掘を始めたのがきっかけだった。掘り起こしてみると、そこから出てきたのは、ご飯茶碗や酒瓶だった。

それから14年間、マックル教授は毎年春になると考古学の学生を引き連れてここを訪れ、6週間にわたって発掘を行うようになった。この集落跡について同教授は、カナダに移住してきた日本人が身を寄せて暮らしていた場所だとの仮説を立てている。この集落跡からこれまで1000点以上の品々を発掘した同教授だが、ノースショア・ニュースによると、発掘作業は今年で終わりにする予定だと話しているという。

■ 人種差別から逃れるための隠れ家

この場所はバンクーバーから北東20キロ弱の場所にあり、現在はローワー・シーモア保護区に指定されている。1918年ごろ、日系カナダ人ビジネスマンだったエイキチ・カゲツ氏がこの場所の森林伐採権をBC州から獲得。1924年に伐採は終了し、カゲツ氏は事業を拡大するためにバンクーバーの他の地へ移ったとされている。

しかしマックル教授は、森林伐採の作業が終わっても、人々はここで密かに暮らし続けたと考えている。1920~1930年ごろにバンクーバーではびこっていた日系人に対する人種差別から逃れ、自分たちの文化を守るためにこの集落で暮らし続けたのではないかというのだ。第2次世界大戦が始まり日系カナダ人が抑留されるようになる1942年まで、40~50人ほどがここで生活していたと同教授は考えている。

集落はフットボール場ほどの広さで、14戸ほどの小屋があり、貯水池から水が引かれていた。庭で野菜を育て、近くのシーモア川では魚が豊富に釣れたらしい。集落の北端にはヒマラヤスギで作られた台のように平らな場所があり、そこでは緑色のガラスを針金で合わせたちょうちんの一部らしきものも見つかった。ほとんどの日本人はこの場所を見て、神社だろうと口を揃えるという。

マックル教授は、年配の日本人女性が発掘作業に参加した時のことを振り返る。女性は、「お風呂はどこか」と聞いてきた。「ofuro」という単語をその時初めて聞いた教授は、それが日本の文化にとっていかに大切なものかや、日本人が住んでいたらなら風呂がないわけはないと聞かされた。最終的に浴場と思われる場所を発見するに至ったと同教授はノースショア・ニュースに話した。

■ 大戦時の日系人抑留まで生活をしていた可能性も

スミソニアンによると、日本人によるカナダへの大規模な移住は1877年に始まり、多くの人が西海岸のBC州に身を落ち着けた。当時からアジア人への風当たりが強かったが、第2次世界大戦が始まると、差別は激化した。BC州によると1942~1949年には、日系人2万2000人が同州内の太平洋沿岸地域から強制的に内陸部へと連行され収容された。

日系人が抑留されるようになる1942年までこの場所に人が住んでいたというマックル教授の仮説を裏付ける記録は何もないという専門家もいる。しかし料理用の高価なコンロが、まるで略奪されないよう隠すようにして置かれていたことや、ほとんどの物がほぼ損傷なく残されていたことから、同教授は、いずれにせよここに住んでいた人たちはかなり急いでこの場を後にしたのではないかと説明している。

バンクーバー周辺地域の飲料水を提供するグレーター・バンクーバー・ウォーター・ディストリクトはその後、この地域を立ち入り禁止とした。やがて集落は森林に覆い尽くされ、かつて日系人が隠れるように暮らした場所はさらに人目につかないようになっていったようだ。

日系カナダ人の抑留から75周年となった2017年4月には、BC州がこの場所を「日系カナダ人にとって歴史的に重要な場所」の一つに指定した。また、ノース・バンクーバー地区は2018年、マックル教授の功績を称えて「コミュニティ・ヘリテージ賞」(地域遺産賞)を授与している。

松丸さとみ

最終更新:9/9(月) 19:26
ニューズウィーク日本版

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