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本を最後まで読めない女性31歳の悩み。マンガは何時間でも読めるのに…

9/9(月) 15:52配信

週刊SPA!

―[インテリジェンス人生相談]―
“外務省のラスプーチン”と呼ばれた諜報のプロが、その経験をもとに、読者の悩みに答える!

バカでも本を好きになる方法はありますか?

★相談者★アシリパ(ペンネーム) 会社員 女性 31歳

 私は集中して本を読むことができません。絶対読むぞと思って本と向き合って中学生のときに読書感想文のために夏目漱石の本を読み切ったことがありますが、全然頭に入らず、今では何の記憶もありません。おそらく私がバカなだけだと思いますが、マンガであれば何時間でも読み続けられますし、記憶に残っています。

 何とかして本が読めるようになりたいと思って、佐藤優さんの『読書の技法』を購入しましたが、佐藤さんが読書や哲学に目覚めたきっかけやマンガの読み方はすんなり頭に入ってきたのですが、そのほかの箇所は私には上級者の技法に思えて読み切れませんでした。バカな私が本を好きになる方法はないでしょうか?

◆佐藤優の回答

 学生時代に読書の習慣がついていない人にとって、社会人になってから本格的な読書を始めようと思ってもなかなかうまくいきません。マンガなら頭に入るということなので、テキストの選定を誤らなければ、あなたも一級の読書家になれます。重要なのは、音読をして理解できるテキストを、まず読んでみることです。音読の重要性について作家の井上ひさし氏はこう述べています。

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コトバにも、魚と同じように、獲れたてのぴちぴちしたやつと、冷凍のぱさぱさしたやつとがある。誤解をおそれずに大ざっぱな独断の斧を振り下ろすと、ぴちぴちしたコトバは意味よりも音の響きを大切にしたものであり、ぱさぱさしたコトバは音の響きを犠牲にして意味をより重視したもの、といえるのではないかと思われる。小説や戯曲の中に立ち現われるコトバは、どちらかというと、音よりも意味を重くみたものが多く、「重厚な力作」とか「堂々たる大作」などと称えられる作物はたいてい、ぱさぱさと乾燥した死んだコトバの羅列があるだけで、五、六行も読まぬうちから退屈してしまうのだ。学術論文ならば、意味だけが大切なのだから、退屈しても知識=意味を得るために、無理をしても読んでしまうが、小説や戯曲は論文とは違う、やはりそこにぴちぴちと生きたコトバが躍っていなくては芸術=芸の術とはいえないのではないか
(『井上ひさし ベスト・エッセイ』286頁)
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最終更新:9/9(月) 15:52
週刊SPA!

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