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ミャンマー特集(7) 戦争をめぐる「美談」を超えて新しい関係へ

9/10(火) 15:01配信

nippon.com

野嶋 剛

日本とミャンマーには、歴史や戦争をめぐる「美談」がたくさん存在する。日本の旧軍人が助けたビルマ独立運動がその代表格であり、確かにこれまで両国の関係を支える一定の役割を果たしてきた。一方、戦後すでに70年以上が経過し、新しい世代にも説得力を持つ言葉で、今後ミャンマーは語られていくべきだ。

独立の「恩人」南機関・鈴木大佐

8月23日、東京のホテルに、ミャンマーから招いた国軍の将官約10人が顔をそろえた。日本財団が継続的に行なっているミャンマー将官級交流プログラムで、日本各地の自衛隊などを10日ほどかけて訪問する。日・ミャンマーの軍事関係者の重要な交流チャンネルになっている。

そこで、団長格の第6特別作戦室長、タン・トゥン・ウー中将に私は尋ねた。 「鈴木大佐の物語をどう思いますか」

鈴木大佐とは、戦中、日本軍の秘密組織「南機関」で、英植民地であったビルマを攻略する工作を担った鈴木敬司大佐(1897-1967)のことだ。政権与党、国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー国家顧問の父であるアウン・サン将軍らビルマ人30人のナショナリストの若者に対し、徹底的な軍事訓練を日本や中国・海南島、台湾で行い、反英組織・ビルマ独立義勇軍の結成につなげた。

この独立義勇軍は、のちにミャンマー国軍の母体となる。国軍でいまも日本の軍歌が歌われているのは、こうした経緯に由来するものだ。

「鈴木大佐のことは、国軍に入る前から知っていました。われわれの独立に大きな貢献をしてくれた恩人です」。タン・トゥン・ウー中将は「恩人」という言葉で、鈴木大佐を言い表した。

対英共同戦線を張った日本軍とビルマの若者たちは、英国をビルマから駆逐したあと、独立問題をめぐって対立し、決裂する。鈴木大佐は確かにビルマ独立の恩人だが、任務途中で解任され帰国。ビルマ独立義勇軍は抗日クーデターを起こして日本兵を多数殺害しつつ、独立闘争を展開した。

総じていえば、ミャンマー人が感じる恩義は、鈴木大佐を含めた当時のビルマ独立を本気で助けようと考えた一部の日本人に対するもので、ビルマの若者を反英戦争の駒として利用しようとした日本という国家に対するものではなかった。その証拠に、ビルマ独立後、歴史教科書でも戦前の日本は「ファシスト」と位置付けられている。

しかしながら、人情を重んじるミャンマーの人々は、鈴木大佐という個人への恩義を忘れずにいてくれており、それが「日本人全体」への好感にうまくつながっているのである。

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最終更新:9/10(火) 15:01
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