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また会う日まで。独の大衆車「VWビートル生産終了」 約80年の軌跡を辿る

9/10(火) 18:40配信

Auto Messe Web

VWビートルの歴史は繰り返す

 1941年、RR方式で空冷水平対向4気筒エンジンを積む初代モデル(正式な名称はタイプ1)の登場以来、ニュービートル、Theビートルを経てきたVW「ビートル」が生産終了。約80年の歴史を持つ偉大なる大衆車、VWビートルが辿った軌跡を振り返ってみたいと思う。

電気自動車化されたビートル【画像】

ポルシェ博士が作り上げた初代モデル

 初代ビートルが誕生した背景を簡単にいうと、ドイツの首相を務めたアドルフ・ヒトラーがドイツ国民のための国民車をつくるようにとフェルディナンド・ポルシェ博士に命じたことにさかのぼる。その条件には丈夫で安価に維持できること、大人4人が乗れること、時速100km/h以上で巡航できること、燃費はリッター14km以上、シンプルな空冷エンジンとすること、価格は1000マルク以下、という非常に厳しいものであった。

 これらの条件をクリアし、RRの鋼管フレームボディ+1リッターエンジンでスタートした初代ビートルはドイツはもちろん、アメリカ、ブラジル、VWの生産を行なっていたメキシコでも大人気となり、VWの基盤を築いた。後述するように初代ビートルは超長寿車だったこともあり、6Vから12Vへの電装系の変更や、最終的には1.6リッターとなる排気量をはじめとした幾度もの改良を受けながら、魅力を保った。

 また、鋼管フレームボディを持つ初代ビートルは、極端に表現すればアッパーボディさえ変えれば簡単に派生車の製造も可能。スタイリッシュなエクステリアを持つ「カルマンギア」を生んだ。

 そして「ワーゲンバス」と呼ばれた(正式にはタイプ2)ワンボックスカーの派生車も登場したのである。

 さらにモータースポーツにおいても高い耐久性を生かしてラリーで活躍。初代ビートルの空冷エンジンは“フォーミュラVee“と呼ばれる入門フォーミュラカーにも使われ、多くのF1ドライバーの輩出にも貢献している。

 しかし、初代ビートルがあまりに成功したため、キャビンとラゲッジスペースの狭さ、RRゆえの不安定さや基本設計の古さが目立ってきても後継車を造れずにいた。皮肉なことに1960年代後半からVWは経営危機に陥ってしまう。そんな中で起死回生の策として1974年に登場したのが、シンプルなFFレイアウトを持つ初代ゴルフだった。VWゴルフの大成功により経営は持ち直していく。

 初代ビートルは1978年にドイツでの生産は終了するが、その後も低価格車の需要が多いブラジルやメキシコでの生産は継続。特に“メキビー“と呼ばれたメキシコ製初代ビートルは2003年まで生産され、最終的に1.6リッターのインジェクションに進化。メキビーはかつて並行輸入業界の風雲児と呼ばれたオートトレーディングの手で輸入されていたこともあり、日本でも少数ながら中古車が流通している。

 私事だが、メキビーの最終モデル(左ハンドル)に練習車として1年ほど乗っていた時期があった。スピードこそ遅いものの、刺激的な空冷エンジン、ギアチェンジやアクセル操作の難しさなどプリミティブな面白さにハマってしまい、上司が処分する際に当時はそんな余裕はなく買い取れなかったことを未だに悔んでいる。

 中古車価格は筆者が乗っていた10年ほど前よりも大幅に上昇。空冷エンジンゆえ現代の東南アジア以上に暑く感じることも珍しくない日本の夏場や、ヒーターの効きが悪いため冬場はあまり乗らない方がいいという大きな弱点は否めないにも関わらず、補って余りある魅力があったのである。

 150万円程度で極上の個体が流通しているので、趣味のクルマと割り切れば、今後増えることはない空冷エンジン車の経験、空冷のポルシェに乗る前段階などとして、興味があるなら思い切って自分のものにすることを大いに勧めたい。

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最終更新:9/10(火) 19:24
Auto Messe Web

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