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東北の怪腕とドラフト

9/11(水) 11:42配信

週刊ベースボールONLINE

 菊池雄星、大谷翔平、そして今年は大船渡高の佐々木朗希。いまや世界レベルの好投手を輩出するようになった東北の地だが、かつてはドラフト「無風地帯」でもあった。9月11日発売の週刊ベースボールの特集は、恒例の『ドラフト候補大特集』だが、ここでは、そこに掲載した「東北の怪腕とドラフト」を抜粋し、掲載する。東北の高卒ドラフト1位投手を中心に振り返ったものだ

【画像】太田幸司の熱投!史上初の決勝引き分け再試合

先駆けはコーちゃん

 1965年秋に始まったドラフト会議において、主役が東北、ましてや高校生になることはまずなかった。

 北海道、甲信越地方なども同じことが言えるが、これは長い冬が影響する。
 暖冬の昨今はまた違っているだろうが、2メートル以上の積雪が当たり前の雪深き地になると、12月から4月初めまでグラウンドでの練習ができなかったりする。

 こうなると、いくら資質が高くても開花は遅れがちだ。高校生年代からプロのスカウトをざわめかすような選手は、なかなか出てくるはない。

 第1回ドラフトで、大洋に指名された東北最初のドラフト1位の保原高・岡正光(福島)は、決して全国区での1位評価ではなく、入団後も一軍登板なし。68年秋には、東北出身では史上最多通算284勝を挙げた山田久志が阪急に1位指名されたが、能代高(秋田)から富士鉄釜石を経てだった。

 例外的存在が、69年秋の三沢高・太田幸司だ。
 69年の夏の甲子園、三沢高が松山商高との決勝、延長18回引き分け再試合で敗れたときのエースで、白系ロシアの血を引く甘いマスクで「コーちゃんブーム」を巻き起こした。

 近鉄入りとなったが、11球団が指名あいさつに来たなかで、一番熱心だったのは阪神だったという。太田自身も希望球団だったが、2番くじで太田を指名するチャンスがありながら、東海大の上田二朗を選んだ(当時は競合なく、指名順)。新監督となった村山実が即戦力投手を希望したからと言われた。

 甲子園のアイドル投手では78年、福島商高で“福島の玉三郎”と言われた三浦広之が阪急に2位、86年、秋田経大付高で“秋田の玉三郎”と言われた松本豊が大洋にドラフト外で入った。ともに、プロ野球ではスタークラスの活躍ではなかったが、しっかり爪痕を残している。

 甲子園組では、秋田商高の長身右腕・高山郁夫が149キロの快速球と沸かせ、80年秋、日本ハムに1位指名されたが、拒否し、プリンスホテルを経て85年ドラフト3位で西武に入団した。当時、プリンス─西武は一つのトレンドのようなものだった。

 85年春夏連続甲子園ベスト8となった東北高(宮城)のエース・佐々木主浩は、東北福祉大(宮城)を経て、90年大洋(横浜)にドラフト1位入団。このとき高校、大学で2年下にいたのが斎藤隆だった。

 斎藤は、高校時代は野手で大学に入ってから投手に転向。佐々木の1年後の91年に同じく大洋に1位で入団。先発を経て佐々木の後のクローザーとなり、同じくメジャーで活躍した。

 斎藤の大学同期には金本知憲(のち広島ほか)、矢野輝弘(のち阪神ほか)らがプロに進んだが、いずれも東北出身ではない。当時の東北福祉大は全国屈指の強豪。毎年のように多くのプロ選手が出ていた。

 翌92年にはダイエーが仙台育英高(宮城)時代の夏の甲子園準優勝投手となった大越基を1位指名。早大を中退し、アメリカの1Aでプレーしていた変わり種だ。

 94年秋には同じ仙台育英高から金村秀雄(曉)が日本ハムから1位指名され、のちエース格となっている。

 2001年秋、高卒ではないが、久々に東北出身の投手がドラフトの主役になった。青学大の左腕・石川雅規だ。秋田商出身。167センチの小さな大投手は、自由獲得枠で入ったヤクルトのマウンドにいまも立っている。

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最終更新:9/25(水) 15:43
週刊ベースボールONLINE

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