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「感動的な夜」ナダルがメドベデフの挽回を押し返し、劇的優勝 [全米テニス]

9/11(水) 9:00配信

テニスマガジンONLINE

 スリル溢れる「USオープン」(アメリカ・ニューヨーク/8月26日~9月8日/ハードコート)の男子シングルス決勝で、ラファエル・ナダル(スペイン)の19勝目となるグランドスラム・タイトルは不可避のものから突然、疑念の中に投げ込まれた。

USオープン2019|トーナメント表

 なんてことはない戴冠をへとへとにさせられる厳しい戦いに変貌させた功績は、ナダルの対戦相手だった第5シードのダニール・メドベデフ(ロシア)にあった。ナダルより10歳若いメドベデフは、初めてのグランドスラム決勝をプレーしているところだった。

 彼は最初の2セットを落とし、さらにワンブレークされたところからプレースタイルを変え、揺らぐナダルに対して自らのプレーレベルを引き上げた。彼はアーサー・アッシュ・スタジアムの観客たちから予想外の後押しを受けさえしたのである。

 今大会で初めて真のテストを課せられた第2シードのナダルは、最終的にメドベデフの高まる波を堰き止め、7-5 6-3 5-7 4-6 6-4の勝利で彼の歴史的挽回劇を抑え込むことに成功した。ナダルはブロードウェイのミュージカルに値するドラマと素晴らしいプレーに満ちた4時間50分の死闘の末に、フラッシングメドウで4度目となるタイトルを獲得した。

「僕のテニスのキャリアでもっとも感動的な夜のひとつだった」とナダルは表現した。彼はスタジアムのスクリーンが彼がこれまでに獲ったグランドスラム・タイトルのすべてを映し出しているとき、泣きながらその顔を手で覆っていた。

「試合の最後の3時間は非常に激烈なものだった」とナダルは振り返った。

「精神的にも、肉体的にも非常にタフだった」

 今、メドベデフが「常軌を逸した」と表現した「19」のグランドスラム・タイトルを手にしたナダルは、最多タイトル保持者でライバルのロジャー・フェデラー(スイス)の「20」まであとひとつと迫った。

 しかしこのタイトルは簡単にはやってことなかった。確かにナダルは最初の2セットを先取し、第3セットでも先にブレークを果たして3-2とリードしていた。その様はメドベデフの言葉を借りれば、「野獣のよう」だったのだ。メドベデフが試合後に冗談まじりに言ったところによれば、その時点での彼の考えは、「20分以内に僕は(準優勝者の)スピーチをしなければならない。何を言おうか?」だったのだという。

 だが23歳のメドベデフは、その夜に優しく入っていきはしなかった。彼はただちにブレークバックして3-3と追いつき、ふたたびブレークを果たしてそのセットを奪取。そして第4セットの終わりにも、またブレークをやってのけた。

「ものすごく緊迫した試合だった」とナダルはコメントした。

「クレイジーな試合だったよ」

 1949年以来、USオープン決勝でセットカウント0-2から挽回勝ちをやってのけた選手は誰ひとりいない。メドベデフが5セットマッチに勝ったことは一度もなかった。そしてグランドスラム大会でナダルが最初の2セットを取った末に敗れたことは、たった一度しかない。

 それでもなお、その緊迫感は途轍もないものだった。

 そして終わりにーー否、終わりに見えていたときに――ナダルは、なかなかけりをつけることができなかった。第5セット、メドベデフが最初40-0とリードしていたがそこから簡単なフォアハンドをミスして崩れたゲームでブレークを果たして3-2とリードしたあと、ナダルはまたもブレークして5-2から自分のサービスを迎えた。

 しかし、抜きつ抜かれつする長い物語が運命づけられていたこの夜、メドベデフがそこでブレークすることは、おそらく不可避だったのかもしれない。ナダルは、この夜3度目のコードバイオレーションで1サーブを失ったあとのブレークポイントでダブルフォールトをおかし、メドベデフはブレークをひとつ返すことに成功した。

 次のゲームでナダルはいくつかのマッチポイントを手にしたが、メドベデフはバックハンドのウィナー、それからサービスウィナーでこれらの危機をしのぎ、観客のスタンディングオベーションを受けながらまたも敗北を回避してみせた。

 続くエンドチェンジでナダルのサポーターが「終わらせるんだ!」と叫ぶ中、ナダルはふたたび――今回は5-4から――自分のサービスで戦いにけりをつけるためにベースライン上に立った。彼はそこで、またも息詰まるブレークポイントに対処しなければならなかったが、鋭いフォアハンドを打ち込んでメドベデフのフォアハンドのアウトを引き出した。

 その2ポイント後、不屈の男ナダルは非常に骨が折れ体力を消耗させられる、かつ重要なタイトルのかかった試合の終わりによくやるようにコート上に仰向けに倒れた。

「この試合中に潜り抜けたことの末に、それでも生き延び、試合をこんなふうに終えることができるとは素晴らしいという言葉では足りない」とナダルのコーチのひとりであるカルロス・モヤ(スペイン)は教え子を称えた。

「これをやるにはメンタル的に天才でなければならない。彼はまだそこにいて戦い続け、ことが非常に悪く見えているときに状況を逆転させることができる。彼は今日、それをやってのけた」

 ナダルのこのニューヨークでの収穫物を、フレンチ・オープンでの12タイトル、ウインブルドンでの2タイトル、そしてオーストラリアン・オープンでの1タイトルに加えると、彼のグランドスラム優勝杯は「19」となる。その結果、フェデラーの「20」に対してナダルの「19」と、フェデラーとナダルの間のギャップはここ15年でもっとも狭まった。

 フェデラーは2003年のウインブルドン初優勝時に1-0とリードし、それからナダルが2005年フレンチ・オープンで初優勝する頃までには4つのグランドスラム優勝杯を手にしていた。

 キャリアを終えるとき、ナダルはグランドスラム大会のタイトル数で1位に立っていたいと明かした。フェデラーと、現在「16」と迫りつつあるノバク・ジョコビッチ(セルビア)をしのぐ1位の座で。しかし彼はまた、自分の幸せが最終的にどのように終わるかに基盤を置くことはないと主張した。

 この日の試合は彼が望んでいた通りの結末になったが、その旅には人々が予想したよりもずっと多くの紆余曲折があった。

 その厳しさがあったからこそ、「この日は忘れがたきものとなり、僕の歴史の一部となった」のだとナダルは言う。

 身長198cmのメドベデフは自らの敗戦が近づきつつあると感じとったとき、守備的にプレーする頻度を減らした。そしてよりアグレッシブにプレーして、より狡猾で油断のならない敵へと変貌した。

 彼はサーブ&ボレーとベースラインでナダルに打ち勝つプレーを交互に見せ、しばらくするとあたかもメドベデフがミスすることはあり得ないように感じられ始めた。彼は実際、ウィナー数で75対62とナダルをしのいでいたのだ。

 彼はUSオープン前の一連のハードコートの大会でこのようなストロークの冴えを見せつつ、4大会連続で決勝に進出していた。また彼は戦術を変える能力も見せ、サーブ&ボレーに出たポイント29回のうち22回を勝ち取っていた。

「彼の戦い方、試合のリズムを変える能力は信じられないほど素晴らしかった」とナダルは評価した。

 フラッシングメドウの観客たちは、メドベデフのコート上のふるまいゆえに週を通して彼にブーイングや野次を飛ばしていた。彼は皮肉で、自分を野次った観客にお礼を言ったり、彼らの悪態こそが自分が勝った理由だと言うことによって中傷者を挑発していたのだ。ところがその観客たちが最後には彼を支持し、彼を応援していた。

 あるいは彼が表彰式の際に言った通り、観客たちは決勝のチケットを買うために使った金に見合うより多くの興奮を支持していたのかもしれない。

 そして、彼らは間違いなくそれを手に入れた。

「この試合のことは決して忘れないだろう」とメドベデフは言った。

「たとえ、僕が70歳になったときでさえ」

(APライター◎ハワード・フェンドリック/構成◎テニスマガジン)

最終更新:9/11(水) 9:00
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