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横浜、IR誘致で露呈した何とも厳しい「懐事情」

9/11(水) 6:20配信

東洋経済オンライン

 横浜市の林文子市長が2019年8月の定例記者会見で行ったIR誘致の正式表明が話題を呼んでいる。これまで白紙としてきただけに市民からは反発の声も上がっているが、それ以上に注目したいのは一般会計だけで1兆7000億円(2019年度)を超える横浜市ですら財政が厳しいと公式に認めざるをえなかった点である。

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 記者会見で林市長は、華やかなイメージの裏側で「現状は毎年500億円ほどの収支不足から予算編成を進めていました」と語っている。財政事情を持ち出さないとIR誘致を正当化できなかったからとも言えるが、5年連続でプラスの予算を組むなどイケイケな印象があった中での「厳しい」宣言。

 だが、これは他人事ではない。ここでは横浜市ならではの危ない事情に加え、大都市ほど危険という推測について見ていきたい。

■2度も壊滅状態に陥った

 歴史に詳しい方なら、横浜市が市の成立以降、2度も壊滅に近い状態に陥ったこと、その後も身動きが取れない状況が続いたことをご存じだろう。最初の苦難は1923年の関東大震災だ。

 関東大震災と聞くと東京都が被害の中心だったように思われがちだが、実際は違う。震源地の直上にあたる神奈川県が中心で、横浜市では2万6000人強が亡くなっている。4万人近くが亡くなったとされる本所被服廠跡地の死者を除けば東京市の死者が2万8000人ほどになること、当時の、中心部に集まっていた横浜市の人口が東京市の約5分の1ほどだったことを考えると壊滅という言葉は間違いではなかろう。

 続いては1944年から始まった空襲。翌年の終戦までに市街地の4割以上が焼失しており、とくに都心部の中区では半分ほど、西区では8割弱が罹災しており、横浜市の都市機能は再度壊滅状態に陥ったのである。

 しかも、横浜市ではその後、アメリカ軍の接収が広範に、長く続いた。横浜市内で接収された土地面積は全国の6割以上に及んでおり、とくに港町横浜の生命線・港湾施設では約9割が接収されている。

 1952年からは接収解除が始まったが、中心部・関内地区の接収が解除されたのは1953年になってから。しかも、土地の境界や権利関係がわからず、道路もなくなった状態での返還のため、実際に建物が建つまでにはさらに時間がかかった。

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最終更新:9/11(水) 6:20
東洋経済オンライン

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