ここから本文です

日本サッカー指導者が中国に進出。 「元祖・天才」菊原志郎が語る実情

9/12(木) 6:37配信

webスポルティーバ

広州富力足球倶楽部ヘッド・オブ・ユースアカデミー・コーチング菊原志郎インタビュー(1)

ミャンマー戦の前半16分、先制ゴールを決めた中島翔哉

 近年、日本人指導者の中国行きが相次いでいる。日本のJリーグにあたる、中国スーパーリーグのクラブがアカデミー(育成組織)を持つことが義務付けられ、各クラブは指導者の獲得に奔走。スペインやオランダ、ポルトガル、セルビア、ブラジル、日本など、世界各国の優秀な指導者に白羽の矢が立てられた。

 かつて読売クラブの「天才」と言われた菊原志郎も、中国で指導をするひとりだ。所属するのは広州富力。オーナーを務める富力グループは、不動産開発や中国のグランドハイアットやリッツ・カールトンなどのホテル事業ほか、多角的な事業を営む大企業である。

 トップチームの監督はドラガン・ストイコビッチ。2015年に、名古屋グランパスでフィジカルコーチ/ヘッドコーチとしてチームを支えた喜熨斗勝史(きのし・かつひと)を従えて、広州富力の指揮を執ることとなった。菊原は喜熨斗とS級ライセンスの同期であり、互いに人柄と指導力を認める仲だった。折に触れて、喜熨斗から「中国行き」の打診を受けていたものの、菊原は「タイミングが合わなくて」と固辞していたが、2018年に海を渡ることになった。

 現役時代の菊原は、1986年に16歳7カ月で日本リーグデビューを果たし、「天才少年」と呼ばれた。ケガの影響で27歳で現役を引退すると、指導者として活動をスタート。東京ヴェルディのジュニア、ジュニアユース、ユースのコーチ、U-15、U-16、U-17日本代表コーチを歴任し、2011年にはFIFAU-17W杯に吉武博文監督とともに参加。南野拓実、中島翔哉、鈴木武蔵、植田直通、中村航輔などを擁したチームは、高い技術と連携をベースとした攻撃的なスタイルでベスト8に進出した。

 その後、JFAアカデミー福島でU-14、U-15の監督を務め、2015年からは横浜F・マリノスでU-14コーチ、U-15監督として、育成年代の指導に心血を注いできた。その経歴を買われ、2018年に中国に渡り、広州富力U-13監督に就任した。

1/3ページ

最終更新:9/12(木) 6:37
webスポルティーバ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事