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ロベカル、カフーら名サイドバックの系譜。 歴代スターの共通点は

9/12(木) 6:17配信

webスポルティーバ

大胆不敵なSB、ブライトナー

 髭面でアフロヘアの男が、毛沢東主席の大きなパネルの前に座っている。まだ20歳そこそことは思えない貫録だった。この有名になった写真から、西ドイツ(当時)のパウル・ブライトナーは共産主義者だと言われていたが、とくに政治的な主張があったわけではないそうだ。ただ、70年代は反逆の時代であり、ブライトナーはその代表格とされていた。ちなみに愛読書は『毛沢東語録』と答えている。

 バイエルンの左サイドバックとして台頭し、1974年西ドイツワールドカップでは3ゴールをゲットしている。エースストライカーのゲルト・ミュラーが4得点なので、ブライトナーはSBながら西ドイツで2番目の得点数だった。

 国は違うが、ブライトナーはジュニオールと同系統の、つまり極めて珍しいタイプのSBといえる。一応、相手の右ウイングをマークするのが任務だったが、DFはほぼ仮の姿。攻撃ではあらゆる場所に出没した。

 当時の西ドイツがマンツーマン・ディフェンスだったことも関係があるだろう。従来のサイドバックは決まった相手をマークするだけだった。しかし、時代は自由と反逆の70年代である。トータルフットボールの旗の下、DFはどんどん攻撃に出ていった。

 オランダと西ドイツはその最右翼で、ブライトナーはその中でもさらに大胆だった。ブライトナーが相手をマークするより、相手がブライトナーをマークする時間のほうが長かったかもしれない。

 スピードと運動量が抜群で、それ以上に正確な技術と戦況を見る眼があり、何よりも度胸があった。

「フランツ・ベッケンバウアーは『陰の監督』などではない。彼は『真の監督』である」

 こうした物議を醸すようなことも平気で口にした。この大会中、監督に代わって全軍を掌握した「皇帝」については越権行為の批判もあったが、こうまであけすけに言われたらメディアも返す言葉はなかっただろう。

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最終更新:9/25(水) 22:31
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