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若獅子を全力サポートする上原厚治郎副寮長が描く夢とは?/ライオンズ「チームスタッフ物語」Vol.06

9/13(金) 11:01配信

週刊ベースボールONLINE

首脳陣を含めて91人――。ライオンズで支配下、育成選手72人より多いのがチームスタッフだ。グラウンドで躍動する選手たちだけではなく、陰で働く存在の力がなければペナントを勝ち抜くことはできない。プライドを持って職務を全うするチームスタッフ。獅子を支える各部門のプロフェッショナルを順次、紹介していこう。

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「伸びる選手は自分を持っている」

 副寮長兼育成担当に就任して今年で7年目を過ごしている上原厚治郎の眼差しは優しい。印象に残っている寮生を尋ねても、「それは全員です」と笑みをたたえる。

「みんな印象的ですよ。例えば源田(壮亮)は社会人出身だったので体のケアなども、自分からしっかりやっていました。山川(穂高)、森(友哉)もよく練習していましたよね。今井(達也)も夜間に僕に『キャッチボールいいですか』と。今井とはいろいろ話をしましたが、自分なりに研究して、練習しているのは感じましたね」

 密に寮生と接する中で、野球選手として伸びるタイプを悟れるようになった。

「自分を持っていますよね。ブレない。源田はしっかり者ですし、山川もホワンとしているけど、やるときはやる。今井も違うところに行きそうになるけど、すぐに戻ってくる。森は見た感じヤンチャですけど、話してみると自分のことを本当によく知っています」

 今になって思う。6年で終わった自身の現役生活で、もしかしたら足りなかったのはそれだったのかもしれない――。

わずか6年の現役生活

 2005年、沖縄電力からドラフト5巡目でヤクルトに入団した上原。ヤクルト時代、真っ先に思い出すのは希代の名捕手・古田敦也とバッテリーを組んだことだという。

「古田さんはボール判定になりそうな投球でもストライクにしてくれるんです。体全体を使ってストライクに見えるように捕ってくれますから。僕の場合も左バッターのインコースに投げて、ボールかなと思ったのが、ストライクになった記憶があるんですよ」

 1年目、開幕一軍をつかみ取り、4月2日阪神戦(大阪ドーム)の8回裏、5番手でプロ初登板を果たして1回無失点。背番号「14」と期待値も高く、幸先のいいスタートを切ったと思われた。さらに2試合の中継ぎ登板を重ねていずれも無失点だったが、5月1日に二軍へ。イースタンでは15試合に登板して、1勝8敗、防御率7.67と抑え切れずに一軍マウンドに戻ることは叶わなかった。

 2年目はシーズン終盤の1試合のみの登板で防御率9.00。オフには背番号が「48」へ。3年目は二軍暮らしに終始して、背番号は再び変更に。“降格”と言える「68」で4年目を過ごすことになった。

「入団当初は真っすぐ、スライダーを軸に勝負する投手でした。でも、それでは通用しなかったので、シュートを覚えました。そこからシュートを多めに。インコースをシュートで攻めて、外へスライダーと横の変化で勝負するようになりました」

 しかし、4年目も4試合の登板で防御率5.40。オフには野手転向を打診された。一度は受け入れようかと考えたが、「捕手をやってほしい」という話になり、さすがに難しいという判断で、ヤクルトを退団してトライアウト受験の道を選んだ。

「今思うと、自分のいいところを伸ばすことに気が付きませんでしたね。長所といえるか分からないですけど、僕はコントロールが良くなかった分、バラつく中でもゾーンに入れる練習をすれば……。そして球速を追い求めていけば、ちょっと違ったのかな、と。コントロールばかり意識して小さくなって、それまでの自分がなくなっていましたね」

 トライアウトを経て、2009年西武入団。調子は良く、リリーフとして二軍で20試合以上に登板して防御率も2点台後半と抑えていたが、8月23日の湘南戦(ベイスターズ)で右ヒジを負傷して暗転した。翌年も思うようにスピードが上がらず、シーズン後半にはサイドスローに転向するなどもがいたが、オフに戦力外を通告された。

「2度目のクビだったので、あきらめはつきました。それに、二軍用具係の話もあったので。ヤクルトから拾ってもらって本当は選手として西武に恩を返していきたかったですけど、違う形でも、と」

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最終更新:9/13(金) 11:01
週刊ベースボールONLINE

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