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京アニ事件、犠牲者氏名公表に時間を要した背景

9/13(金) 18:27配信

週刊金曜日

「このままでは事件の全体像が正確に社会に伝わらない」

「公表に異例の日数を要する憂慮される事態」

 京都府内の報道機関12社で作る在洛新聞放送編集責任者会議は8月20日、京都府警に対し、京都アニメーション放火殺人事件(7月18日)の犠牲者35人のうち残る25人の実名を早急に公表することを書面で申し入れた。遺族などには「節度ある取材」を約束。同府警の井上基総務部長は「遺族・関係者と調整し適宜適切な時期に応対したい」と述べた(その後27日に残る25人全員の氏名を公表)。

 8月2日の会見で、同府警の西山亮二捜査1課長は「身元特定に時間を要したことに加え、凄惨な事件で関係者の精神的ショックが極めて大きい。ご遺族ら関係者が死を受け入れるまでに時間がかかった」とした。葬儀を終え遺族の了承を得られたのが10人で、残る25人については実名公表への理解を求める意向を示し、遺族には「(匿名だと)臆測が流れたり、誤った事実が流れ、亡くなった方の名誉が傷ついたりする」と説明したことを明かした。とはいえ、警察が遺族の了承を得られた人の身元だけ発表するのは異例だ。

 ごく一部の遺族はこれ以前に実名を明かしていた。長女の幸恵さん(享年41)を亡くした兵庫県加古川市の津田伸一さん(69歳)は早くからメディアにも応じた。筆者も事件6日後に自宅にお邪魔したが、「娘が頑張っていたということが少しでも知っていただければ」と話していた。「警察が発表する前に幸恵の名前を公表したのは、安否を心配してくれている人達がいたからです。苦しんでいるのは遺族だけではないですから」。だが取材が集中し疲弊している。

【「実名か匿名か」が恣意的に決められる可能性も】

 2013年1月にアルジェリアで起きた、プラントメーカー「日揮」の日本人社員10人が死亡したテロ事件で、政府は当初「会社と遺族の希望」と犠牲者名を明かさなかったが、報道各社の申し入れで帰国後には発表した。19人の犠牲者名が伏せられた16年7月の「津久井やまゆり園」(神奈川県相模原市)の事件は障がい者という特殊事情とはいえ、やはり匿名者に思いを馳せにくい。

 1996年、16歳だった長男孝和さんを殺された大阪市の武るり子さん(少年犯罪被害当事者の会代表)は「少年犯罪でマスコミにほとんど扱われなかった。夫と顔も実名も出すと記事になった。息子の存在が認められ、息子が生きた証を得られたような気持になれた」(主旨)と話す(『週刊新潮』19年8月15・22日号)。107人が死亡したJR福知山線の脱線事故(05年)で兵庫県警は遺族の匿名希望が強かった4人を例外にすべて実名発表した。直後に取材に応じてくれた遺族はごく一部だ。40歳だった長女の中村道子さんを奪われ「4・25ネットワーク」を立ち上げた藤崎光子さん(79歳)に賛同する遺族や被害者が責任追及・再発防止などの行動を続け、毎年4月25日前後に大きく報じられる。すべてが匿名ならそうした報道はとっくになくなっただろう。

 今回、京都府警は一方で「事件の重大性」を理由に、火傷で治療中の青葉真司容疑者(41歳)を逮捕前から実名発表した。だが「重大性」をどう線引きするのか。犠牲者数なのか。あるいは多数が死亡しても被害者が「日本のアニメ文化を担う創造的な人材」などでなければ重大性が落ちるのか?

 匿名については京都アニメーション側が府警に要望した。05年に大阪市で上原明日香さん(当時27歳)と千妃路さん(同19歳)の娘2人を殺害された母親の百合子さんは「匿名にしてほしいとは思わなかったが、私ら両親にも嫌がらせが来た。京都アニメさんの方々は有名な人たちなのでそれがもっと怖いのでは」と話す。

 しかし匿名では取材ができず、検証もできない。メディアが事件報道を基本的に警察発表に依拠する中、氏名公表を警察と雇用主が一元管理する先例は今後、利用されかねない。政府当局に都合の悪い死亡事案があった場合などに取材を防ぐため、犠牲者が属する組織に当局が匿名を求めない保証はない。発表が恣意的にならないよう、監視しなくてはならない。

(粟野仁雄・ジャーナリスト、2019年8月30日号)

最終更新:9/13(金) 18:29
週刊金曜日

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