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『アス』が描く1980年代のアメリカ社会【松崎健夫の映画ビジネス考】

9/13(金) 21:00配信

FINDERS

1986年5月25日、ロサンゼルスからニューヨークまでの約6600kmを15分間、600万人の握手で結ぶチャリティ・イベントが開催された。あれから33年、“ハンズ・アクロス・アメリカ”と呼ばれた、この史上空前のビッグイベントに対する記憶は、人々の間でかなり薄らいだ感がある。筆者もその1人だったが、最近になって、その記憶が久しぶりに甦る出来事があったのだ。それは、現在公開中の映画『アス』(19)の冒頭。幼少期の主人公が“ハンズ・アクロス・アメリカ”の映像をテレビで見ているという場面を観たからだった。

『アス』は、『ゲット・アウト』(17)を手がけたジョーダン・ピール監督の最新作。アフリカ系アメリカ人の青年が白人の恋人の実家を訪れたことをきっかけに、想像を絶する体験に見舞われるという奇想天外なストーリーが話題となった『ゲット・アウト』は、初監督作品ながらジョーダン・ピールが製作・脚本・監督を兼任し、アカデミー賞では脚本賞を受賞。また、450万ドルという、ハリウッド作品として低予算の部類に入る製作費ながら、北米で1億7600万ドルの興行収入を記録するヒットとなった。そのジョーダン・ピール監督は、なぜ『アス』の中で“ハンズ・アクロス・アメリカ”をモチーフにしたのか? 連載第15回目では、「『アス』が描く1980年代のアメリカ社会」と題して、この映画が描こうとしているテーマについて考えてゆく。


(※ネタバレを含みますので、気になる方は鑑賞後の通読を推奨いたします)

1985年の音楽界でブームとなったチャリティ・ソング

“ハンズ・アクロス・アメリカ”を知るためには、まず「ウィ・アー・ザ・ワールド」をはじめとする、チャリティ・ソングの簡単な流れについて知っておく必要がある。なぜならば、“ハンズ・アクロス・アメリカ”にもチャリティ・ソングが存在するからだ。

昨年大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』(18)のクライマックスは、“ライヴ・エイド”でのパフォーマンスを再現した場面だった。この“ライヴ・エイド”は、アフリカ難民救済を目的として、1985年7月13日に開催されたチャリティ・コンサート。コンサートの模様は、全世界84カ国で同時衛星中継され、日本でも放送されている。主催したミュージシャンのボブ・ゲルドフは、前年に“バンド・エイド”を提唱した人物。当時、イギリスで活躍していた、フィル・コリンズやデュラン・デュラン、U2やスティングなどの人気ミュージシャンたちに声をかけ、チャリティ・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」をレコーディングしたのだ。1984年12月3日にリリースされたシングルレコードは全英チャートで1位となり、300万枚を売り上げる大ヒットを記録。この成功に刺激を受けて、アメリカの音楽界で結成されたのが“USAフォー・アフリカ”だった。

当時のアメリカ音楽界では、レコード会社やマネジメントとの権利が複雑で、“バンド・エイド”のようにミュージシャンが自由な慈善活動に参加するのは不可能だとされていた。そこに尽力したのが、歌手のハリー・ベラフォンテ。有色人種の地位向上を提唱してきたベラフォンテにとって、アフリカの飢餓問題は他人事ではなく、自身のルーツにつながる重要な問題でもあったからだ。ボブ・ゲルドフが若い白人のミュージシャンであった一方で、アフリカ系の父とジャマイカ系の母の間に生まれた大御所ミュージシャンのハリー・ベラフォンテが“USAフォー・アフリカ”を提唱したことは、“バンド・エイド”と比較して、人種・宗教・性別・年齢という面で幅広いバックグラウンドを持った45名の有名ミュージシャンが参加した由縁にもなっている。

“USAフォー・アフリカ”による「ウィ・アー・ザ・ワールド」は、1985年3月8日にリリースされ、全米チャート4週連続1位を記録。シングルレコードが730万枚、アルバムレコードも440万枚を売上げている。その成功の後、国を越えて開催されたチャリティ・コンサートが、先述の“ライヴ・エイド”だった。このムーブメントに触発されて、デヴィッド・フォスターやブライアン・アダムスなどカナダのミュージシャンが集まった“ノーザン・ライツ”、NENAやアルファヴィルなどドイツのミュージシャンが集まった“バンド・フォー・アフリカ”、さらには南アフリカのアパルトヘイト政策に反対するアーティストによる楽曲「サン・シティ」なども発表され、チャリティ・ソングは1985年に一種のブームのようになっていた(すべては挙げられないので割愛)。

これらのプロジェクトの共通点は、フットワークが軽く、即効性があったことだ。例えば、“バンド・エイド”は1984年11月25日にレコーディングされ、12月3日には店頭にレコードが並んでいる。レコーディングやミックス作業の手間、レコードのプレス作業といった当時の事情を考慮すれば、驚くべき速さであることが推し量れる。「考える時間があれば即行動」という姿勢が、今から思えばチャリティの精神にも適っていたと感じさせるのだ。そんなムーブメントの中、遅れて1986年5月に開催されたのが、“ハンズ・アクロス・アメリカ”なのである。主催したのは、“USAフォー・アフリカ”の発起人の1人でもある、音楽プロデューサーのケン・クレイガンだった。

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最終更新:9/13(金) 21:00
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