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名物社長が語る、ブルーノートの未来と音楽のパワー。

9/14(土) 11:24配信

フィガロジャポン

ドキュメンタリー映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』の日本公開に先駆けて来日したドン・ウォズは、2012年にブルーノート・レコードの社長に就任。今後のブルーノートの行方はもちろんのこと、ジャズや音楽シーンのカギを握る重要人物とも言われている。かつてはウォズ(ノット・ウォズ)のメンバーとして活躍し、その後はベース奏者をしながら、名プロデューサーとして数多の作品を手がけてきた。代表作の一例が、ザ・ローリング・ストーンズの数々のアルバムだ。

80年の歴史を誇る、名門ジャズ・レーベルの魅力とは?

ミュージシャン目線からもプロデューサー目線からも音楽に対する理解の深いウォズは、大御所からも若手からも慕われている。帽子がトレードマークで、最近では『アリー/スター誕生』(2018年)のコンサート場面で、演奏している彼の姿を見つけることができる。この社長の職は「大好きなブルーノートだからこそ引き受けた」と言う。

―― ウォズ(ノット・ウォズ)の頃から、ミュージックビデオなどからとてもユーモアのある人だというのが感じられました。音楽的にも、レナード・コーエンやハービー・ハンコック、オジー・オズボーンらと共演するなど、ボーダーレスなスタイルを感じました。

そうだね、僕が育った街デトロイトを反映しているんだと思うよ。僕が若い頃は特に、世界中から工場に働きに来る人がいたからね。そしてみんなそれぞれの文化を街に持ち込んだんだ。デトロイトは、あるものを何でも入れて煮込んじゃうニューオーリンズのジャンバラヤという料理みたいな街だから、僕らが作る音楽にはいつもそれが反映されているんだと思う。だから、イギー・ポップとレナード・コーエンを同じ曲に入れるのに何の不思議もなかったよ。

――ジャズにも早くから親しんだのですね?

そうだね。1960年代のデトロイトは当時のティーンからしても、ジャズが素晴らしかったからね。世界のどこよりもデトロイトはブルーノートの音楽家を輩出しているんだ。いいジャズの街で、いいソウルミュージックの街だったよ。モータウンも地元だし、1960年代ロックンロールだとMC5、ストゥージズ、ブルースだとジョン・リー・フッカーもデトロイト拠点だし。

――初めてブルーノートの音楽を聴いたのもその頃ですか?

14 歳の頃だった。ジョー・ヘンダーソンの「モード・フォー・ジョー」のソロがどこから生まれるのか、音階さえもわからなかった。怒れる獣の叫びのようで、「何だ、この音楽は?」って思ったよ。

――ジャズといえば1920年代にニューヨークで起きた「ハーレム・ルネサンス」というムーブメント(アフリカ系アメリカ人の文学や音楽といった文化・芸術の躍動期)の頃に脚光を浴びましたが、今日のブルーノートに至るまで、そのジャズの特徴というと何だと思いますか?

僕は音楽史にそんなに明るいわけじゃないんだけど、80年間のブルーノート・レーベルの音楽を、僕は個々の音楽の集まりだと思っている。ただ共通しているのは、いい音楽家はみんな自分の前の音楽をよく学んでマスターしているということ。そこから前進する方法を見つけているんだ。セロニアス・モンクやアート・ブレイキー、ハービー・ハンコック、オーネット・コールマンもそうだし、ロバート・グラスパーだってそうしている。完全に独自のものを生み出したっていう人なんて聞いたことはない。ジャズというのはいつだって変化していて、二度と同じものになるべきではないから、いつだって進化しているんだ。

――ジャズは昨日と今日とで同じものであってはいけない、というのは、まるで細胞のようですね。

そう、そのとおり。

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最終更新:9/14(土) 11:24
フィガロジャポン

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