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モナコを救った女神婚 アカデミー女優 グレース・ケリー

9/14(土) 21:08配信

25ansウエディング

今日9月14日はグレース・ケリーの命日。その前日、グレース妃は南仏の別荘からモナコに戻る途中に脳梗塞を発症してしまいます。そして、そのまま急カーブの坂道でガードレールにぶつかってしまい、道路横の崖を転落するという大事故に。事故後すぐに病院へ搬送されましたが意識が戻らないまま翌日に亡くなったといいます。まだ52歳という若さでした。
そこで今日は、グレース・ケリーのウエディングを「女神婚」と題して振り返ります。

自国を救って、美形の子孫も残したい! 国をあげての猛プッシュで求婚

オードリー・ヘプバーンやマリリンモンローと並び、世紀の美女と呼ばれるのがグレース・ケリー。名匠ヒッチコックのお気に入り女優で「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「泥棒成金」など数多くの映画にヒロインとして出演。1955年には「喝采」でアカデミー主演女優賞を獲得するまでに。銀幕女優として人気絶頂の最中、グレースは結婚のため女優業を引退することを決意します。仕事を辞めてまで嫁いだ先とは?女優業を辞めた真意は?グレースの結婚物語を紐解くことにしましょう。
 
グレースは民間人から王室に嫁いだいわば現代版シンデレラ。出会いはモナコで行われるカンヌ国際映画祭。ハリウッドで活躍する女優として参加していたグレースに当時の王子レニーエ3世が一目惚れ!とは言っても一国を背負う王子と一女優。家柄など色々厳しくチェックされそうなのに出会った翌年にはスピード結婚をするんです。もちろんこの結婚は愛し合っていたという二人の恋愛感情があってのことですが(そう思いたい)、当時のモナコは財政難、後継者問題が深刻な状況でした。そこに現れたアメリカの人気女優、しかも聡明で気品があって美人とくれば王家の白羽の矢が立つのも無理はないのかも。

レーニエ3世は映画祭後もアメリカに渡って猛プッシュ!一方グレースはというと、レーニエ3世と出会う前は恋多き女優として有名でした。しかもどれもグレースとは年の離れた年長の男性ばかり。というのも、父親から愛情を受けられなかたのが原因と言われています。レーニエ3世と結婚を決めたのもモナコ王妃になれば父親に認めてもらえるんじゃないかと思ったからなんて話も。

また、グレース自身も、将来夫になる人が「グレース・ケリーの夫」と呼ばれるのが嫌だったそうです。モナコの王様ならその心配はいらないと結婚の後押しになったとも言われています。とにもかくにもグレースは女優業をきっぱり引退しモナコ王室へ嫁ぎました。王室の狙い通り?この結婚を機にアメリカからの観光客が増え、財政難も無事回避。
 
グレースの孫にあたるアンドレア王子、ピエール王子、シャーロット王女といった美形王族も残すことができました(ずっと見てても飽きない美形です)。特に育児にはレーニエ3世もグレースも熱心でとりわけグレースは作法に厳しかったといいます。民間から王室へ嫁ぐということは苦労の方が多かったのかもしれませんが、自身が欲しかった愛情たっぷりの家庭というのを築けてグレースはきっと幸せだったに違いありません。

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最終更新:9/16(月) 14:06
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