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ベンツはノーマルで乗るのが正しい? AMG日本上陸!──連載「STORIES OF A CAR GUY」第10回

9/15(日) 21:41配信

GQ JAPAN

前回までのあらすじ──自然とモータースポーツとの縁を深めた富田だったが、自動車販売という本流は頑に守り続けていた。そんななか、身近な仲間がレーシングカーを製作し世界へ挑戦する姿を見て若きころのエンジニア魂に火がつき始める。ツルシの製品を売るだけでは飽き足らなくなってきたのだ。富田が次に目をつけたのは、AMG やハルトゲといった西ドイツチューニングカーの世界。1980年代始めのことで、それらはまだ無名の存在だった。

【写真を見る】日本に上陸したAMGがこれだ!

AMGとの出会い

あるとき富田は有名モーター誌を読んでいて、ひとつの記事に惹きつけられた。それは欧州のツーリングカーレースをメルセデスベンツのサルーンをベースにしたレースカーで参戦する、西ドイツのとあるチューナーに関する記事だった。チューナーの名前はAMG。今ではダイムラー・メルセデスの傘下だが、当時はまだ独立したチューナーであり、日本ではほとんど知られていなかった。

メルセデスベンツも大好きで、富田は当時、350SLを自分なりに改造して楽しんでいた。けれども、ベンツを改造して乗るということ自体がまるで理解されず、知り合いの自動車評論家(後に超有名となる人たち)からは、「メルセデスはノーマルで乗るものだ!」、とけなされてもいた。

そんなときにAMGの記事に出会ったのだ。そこにはAMGがベンツのチューナーとして西ドイツでは有名な存在で、あまつさえツーリングカーレースに出場し大活躍しているとあり、書き手は旧知の仲である成江淳だった。富田はすぐさま成江に電話し、AMGの話をさらに詳しく聞いている。

聞けば聞くほどに「チューニングはこれからアリだ」、と自信を深めた富田は早速、次のアクションをおこす。AMGの創設者であるハンス・ヴェルナー・アウトレヒトに会うために西ドイツ行きを決心したのだった。

いざ、西ドイツへ!

富田は、友人で童夢USAの社長でもあった金古(真彦氏)に連絡を取り、AMGとのコンタクトを依頼。金古は欧州で著名なイタリア人ジャーナリストのジャンカルロ・ペッリーニに連絡し取り次ぎを頼んでいる。

富田はちょうど2カ月後に童夢を応援するためにフランスはル・マンに行くことになっていた。その帰りに西ドイツのAMGを訪問できるよう、ペッリーニがアポイントを取り次ぐ。

金古と連れ立ってフランクフルト空港に降りてみれば、ひげ面で陽気なペッリーニが見慣れぬアウディと共に待ってくれていた。それは先日(2019年8月27日)亡くなったフェルディナント・カール・ピエヒによって開発され衝撃のデビューを飾ったばかりのアウディ・クワトロで、ペッリーニはロードインプレッションを取っていたのだ。そのリアシートに収まった富田は、ペッリーニがまるでラリードライバーのようにドイツの道をかっ飛ばしたことを覚えている。81年のことだった。

AMGの本拠地はすでにアファルターバッハへと移っていた。けれども、田舎町であることに変わりはなく、AMGの工場もまた簡素にして質素なものだった。後に富田は、「もしあの時のAMGが立派な会社と工場でボクたちを迎えていたとしたら、チューニングカービジネスを日本で興そうという気にはならなかったかも知れない」、と本音を漏らしている。

アルピーヌを初めて見て、「これならできる!」と若い富田が不遜にも思ったように、この時もまた、AMGの質素で実直な佇まいをみて、自分でもできる!と思えたというわけだった。

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最終更新:9/15(日) 21:41
GQ JAPAN

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