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「感動」って売買できるものなのか?――【自著を語る】『潜在認知の次元』

9/15(日) 6:30配信

Book Bang

「感動を売る」会社が増えている。

 コマーシャルや広告を見ても、企業のウェブサイトを開いても、世は感動だらけだ。感動以外にも「夢」を売る会社、「希望」「癒し」「驚き」「安心」など、いろいろある。こういうものを「情動系企業」と勝手に名付けさせてもらうが、はじめはITや映像プロダクション系で起業した会社に多かった。しかし最近は広告メディアから保険業、健康機器メーカーや製造業など、大企業にまで蔓延している。最初のうちはさすがに恥ずかしいのでおそるおそる、という感じがなんとなくあり、それが最近は大手を振って、という流れだ。

「感動」なんて売買できるのか、という疑問が当然浮かぶ。「できるのか」というのには「本当にやれるのか」という技術的な意味もあるし、「していいのか」という倫理的な意味もある。

 感動は本来、偶発的な出会いに基づくもののはずだ。計画して量産して、売り上げを予測したりできるものなのか。仮にできても、それは本物の「感動」とは違うのではないか。そもそも個人の感情の領域に、(そしてあえていえば)実存的な領域に、臆面もなく土足で踏み込むのか。筆者が古い人間なだけかも知れないが、これが最近までの筆者の率直な思いだった。

 だが最近、自分でも信じられないことに、この考えが変わった。「(感動だって)売買できる」方に傾きつつある。そのきっかけは動物行動学の一連の知見に思い至ったことだ。

情動反応は型にはまって解発される

 動物では、情動行動が特定の刺激によって解発(トリガー)される。たとえばイトヨという魚では、オスの赤い腹のディスプレーが、メスの性行動のトリガー(引き金)となる。オオカミのオス同士はメスを争って死闘を繰り広げるが、一方が横たわって腹を見せる「降参」の仕草をすると、それによって他方の攻撃行動がストップする。

 またある鳥にとって鷹は天敵だ。鷹の剥製の内部にスピーカーを仕掛けて、そのスピーカーから鳥の雛の泣き声を聞かせると、母鳥は(視覚的には)天敵の剥製であるにもかかわらず、それを抱き込んでしまう。つまりこの場合は雛の声が解発刺激になっていて、いったん母性行動のスイッチが入ると、それに対して体が抵抗できない。

 こうした動物における情動行動の解発と、ヒトの情動反応とはむろん異なる。しかしたとえば、火災や地震などにおける群衆のパニック行動や、神経系の進化などを見ると、ヒトの情動行動の起源は、動物の情動解発メカニズムにあると考えてよい。

 これを、今問題にしている「感動の売買?」に当てはめると、どうなるか。特定の情動(たとえば共感、同情、義憤など、ひっくるめて感動)を解き放つトリガー刺激さえ量産できれば、商売のラインに乗せることだってできるのではないか。

 この話はむしろ、こころの顕在/潜在レベルという切り分けでするのが、よりわかりやすいかも知れない。顕在とはもちろん意識できる・自覚できるこころの動きだが、ここでは特に知識の領域と考えて欲しい。他方潜在レベルというのは無意識の・自覚できない領域のことだ。ここではわかりやすく「わかっていても、つい」の領域のこと、と考えておこう。

 たとえばありがちな刑事ドラマで、殺人事件に絡む愛憎劇を観たとする。「しょせんはドラマの中の話」というのは顕在レベルの認知だ。が「そうは言っても、血や涙を見せられるとつい気持ちが動いて、次が見たくなる」というのが、潜在レベルでの情動の働きだ。

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最終更新:9/15(日) 6:30
Book Bang

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