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テニスの歴史を変えた「全米オープン」、その簡単な歴史

9/17(火) 22:20配信

エスクァイア

 2019年8月19日から始まって、同年9月8日(現地時間)に幕を閉じた2019年の全米オープン。その歴史を紐解くならば、現在の会場であるフラッシング・メドウズ・コロナ・パークでの開催から大きくさかのぼる必要となります。

 テニスの熱狂的なファンであればご存知かもしれませんが…。全米オープン公式ドリンクである「ハニーデュース(テニスで40-40のタイスコアのことを指す『デュース』が名前の由来するウォッカ「グレーグース」をベースにしたアルコール飲料。ハニーデューメロンをテニスボール状にくりぬいたものがトッピングされる)を飲みながらの話のネタとなるものがほしいという方には、こちらのストーリーをお贈りしましょう。それはこの全米オープンが、どのようにして4大国際大会の一つになったのか?になります。

始まりは1881年

 当初、「全米オープン」という大会名ではありませんでした。のちにオープン化され、まずは「全米選手権」という名前で1881年より開催されるようになりました。

 主催はアメリカ・ナショナル・ローン・テニス協会で、最初のトーナメントは同年ロードアイランドのニューポート・カジノで行われ、男子のシングルスとダブルスのみでした。その後1887年から、女子のシングルスが行われるようになり、1889年には女子ダブルス、1892年には混合ダブルスの開催が加わっていきました。

1968年に全米オープンテニス選手権へ

 「全米選手権」は90年近く開催地を転々とし、1968年にやっと5部門の会場がクイーンズのフォレストヒルズにあるウェストサイド・テニスクラブにまとめられました。この大会からプロ選手への開放を示すオープン化措置が実施され、大会名が「全米オープン」という名称に変わったわけです。そして、「全米オープン」初のシングルス優勝者となったのがアーサー・アッシュとバージニア・ウェードです。

 そして1978年に、大会会場は現在のフラッシング・メドウ・コロナ・パーク内にある「USTAナショナルテニスセンター」へと移ることになります。2006年には、「USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センター」と改名されます。

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最終更新:9/17(火) 22:20
エスクァイア

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