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校則違反、繰り返しても全否定せず 大阪星光の懐の深さ

9/17(火) 6:11配信

NIKKEI STYLE

《連載》リーダーの母校 吉村英毅・エボラブルアジア社長(下)

航空券などのネット販売「エアトリ」を運営するエボラブルアジアは、DeNA子会社だったDeNAトラベルを買収するなど積極的なM&A(合併・買収)を進める一方、ソフトウエア開発を海外で受注するITオフショア事業をベトナムで展開する。積極的な事業展開を指揮する吉村英毅社長(37)は大阪星光学院中学校・高校時代、決して優等生だったわけではないと打ち明ける。遊ぶのが楽しく成績が急降下した時期も、大阪星光学院は決して吉村さんを見捨てなかった。

中学2年のころ、学校の仲間とバンドを組んだ。仲間と遊ぶのが楽しくなった。

ビル・ゲイツにあこがれて「東大に入って、在学中に起業する」と決めたのも同じころです。ですが、実はそのころから学校の成績は急降下していました。

原因はバンド活動でした。私はドラムとキーボード担当。米のグリーンデイとか日本のMr.Children、ハイスタンダードなど、当時はやっていたバンドをコピーしていました。他校のバンドと一緒にライブをやったりするうちに、街で遊ぶのが楽しくなってしまった。学校には行っていましたが、行かない日もありました。髪を染めるなど、校則違反もいくつもしていました。

特に何かに反発したというわけではないのです。ただ単純に遊ぶのが楽しくて遊んでしまいました。仲間も同じだったと思います。当然ながら、学校の成績は下がりました。高校1年の終わり頃には、学年200人のなかで下から20番以内に入るほどになってしまいました。

両親から何か言われたということも、ありませんでした。うちは私が小さいとき、特に父が非常に厳しかったのです。会社を経営しているので夜遅くに帰ってくるのですが、母と子ども3人全員で玄関で出迎えないといけないというくらいの厳しさでした。ところが、私が中学に入ってからは逆に一切何も言われなくなりました。遊んでいる私を見ても、そういう時期だとわかっていたのかな、と今になると思いますね。

学校の先生も向き合って対話してくれた。

大阪星光学院の先生方も、そんな私を全否定することは決してありませんでした。大阪星光学院は校則なども比較的厳しいほうで規律を重んじる学校です。もちろん、何も言われなかったわけではなく、たいがい怒られてばかりいました。でも、その結果として停学になったり退学になったりはしませんでした。

そのかわり、先生方は生徒と向き合って対話してくれる環境でした。学校に行かない日があったり、校則違反もいくつかあったりと、決して褒められた生徒ではなかったのですが、私を小さいながらも一人の人として扱って、向き合ってくださった。この懐の深さは本当にありがたかったです。

高校2年の夏ごろ、自分の成績をみてさすがにこれはまずい、と思いました。なにしろ、東大に入って起業するという目標があります。勉強を始めないと間に合わないと思い、まず染めていた髪を真っ黒に染め直しました。それで、周囲の友達や先生が気づきました。「勉強することにしたんだな」って。

勉強を再開するにも、集団のだいぶ後ろの方からのスタートであることは認識していたので、とにかく誰よりも長時間、誰よりも集中して勉強することにしました。バンドはすっぱり辞めて……というわけではなくて高校3年まで時々参加していましたが、それ以外は週末や休みの日には予備校で缶詰です。朝一番でカロリーメイトと飲み物だけ持って自習室に入り、深夜まで勉強しました。

悲壮に聞こえますが、これが楽しかったんです。やらなければいけない全体のうち、どこが足りないか、自分はどこにいるかを把握して勉強を進めていました。そうすると、1つ学んだことが次のことに結びついて、だんだん理解できてくる。面白いなあと思っていました。面白がって受験勉強をしていましたが、それでも東大に合格できたときはほっとしましたね。

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最終更新:9/17(火) 6:11
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